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「みんな、おしゃべり」 

 日本にクルド人がどれほどいるか、知らない。埼玉の川口あたりに多く住んでいて、近隣住民とのトラブルがあるというニュースを耳にしたことがある。最近は聞かないからトラブルはなくなったということか。外国からの移住について不法滞在だの就労だの法的な問題があることも承知しているが、私にとっては身近な問題ではない。コンビニや飲食店ではたくさんの外国人(多くはアジア人)が働いている、と感じる程度である。

みんな、おしゃべり」を観てきた。クルド人グループとろう者グループのトラブルを描いた映画である。監督の河合健はCODA(親がろう者)だそうだ。

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 夏海にはろう(デフ)の父親と弟がいる。クルド人一家が近くに引っ越してきて、些細なことで父親とトラブルとなる。ことばが通じない。夏海は手話ができる。クルド人一家で唯一日本語ができるヒワ青年が間に入って通訳する。だが、通訳はうまくいかない。正直すぎる通訳だと火に油を注ぐこともあって、両者の溝を埋めることはできない。といった設定。あれこれあって、やがてわかりあえるようになるという着地は最初から想定できる。

 市は多民族が良く暮らす街にしようと活動しているが、トンチンカンな対応しかできていない。夏海の弟の駿が通う学校も教育熱心な割には子供の気持ちをつかめていない。で、駿クンは授業についていけないでいる。マイノリティーに対する配慮が足りない。これが現実なんだろう。と、あれこれ考えてみるのだが、どうしたらよいのかわからない。飲食店で働くミャンマーやベトナムからの留学生や研修生にはより優しく接するようにしている。

 この映画字幕が多い。多いのは親切のようにみえるが、目が悪い私にとっては迷惑というか、煩わしい部分もある。第一、字幕が小さくて、読みづらい。これならUDキャストを借りればよかったと思うほど。私は視力マイノリティーになりつつある。

 ちょいと付け加えると、クルド人といっても出身国はさまざま、トルコ、シリア、イラン、イラクなど。言語も違う。映画の中でも、俺たちはクルド人であってトルコ人じゃない、というセリフが出てくる。そう、そういう理解も必要だよね。

2026年3月 6日 (金)

志ん輔独演会

 花粉が舞う中、生田寄席に行ってきた。今回は古今亭志ん輔独演会。

 年末、志ん輔は自転車で転んで骨折したという。股間節を。たいへんじゃないか。手術とリハビリでなんとか痛みもなく歩けるようになったというが、高座に上がるのは一苦労である。生田寄席の階段はきつい。72歳だもんね。

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 マクラはそんなはなし。今回の演目

  宮戸川

  宗珉の滝

  二番煎じ

宮戸川」は正確に言うと、「宮戸川(上)」である。後半は演じられることが少ない。時間が長くなることもあるが、ちょっと残酷な場面があるので、やらない。この落語のおもしろいところは、前半、霊岸島の叔父夫婦が登場する場面である。のみ込みの早いオヤジはなんでも察してしまう癖がある。おばさんはとぼけキャラで昔を懐かしんだりする。ばかばかしい夫婦のやり取りは笑いを誘う。志ん輔は楽しそうにたっぷりやった。

宗珉の滝」は珍しい。一度ぐらいしか聴いたことがない。それが、志ん輔だったような気がする。腰元彫りの宋三郎は師匠・宗珉から破門されるが、精進の結果。みごと滝を描いた鍔を掘って、破門が解け、二代目宗珉となる噺である。志ん輔、得意の演目である。

 トリは、おなじみの「二番煎じ」である。寒い季節に演じられる。今年は二度か三度聴いている。番小屋で酒を呑み交わすことになる。そこに見回りの侍がやってきて・・・という噺である。旨そうに酒を呑み、しし鍋をつつく。このあたりがいかにも愉快な宴席となりる。名人芸である。

 いい噺が聴けた落語会だった。

 ついでのひとこと

 昭和のオヤジは、カタログギフトなど好きじゃない。めんどくさい。居酒屋でいっぱい。これがよい。

 

2026年3月 4日 (水)

「木挽町の仇討ち」

 ここ数年で読んだ直木賞受賞小説では『木挽町の仇討ち』が群を抜いて面白かった。

 冒頭の章がいい。木戸芸者の啖呵のキレが心地よい。ここだけでも傑出している。それが映画化された。さっそく観てきた。

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 冒頭は木挽町の森田座。仮名手本忠臣蔵の十一段目(討ち入りの場)がはねて客が出ていくと、前の広場で、赤い打掛けを脱ぎ捨てた白装束の侍が、親の仇と、仇討ちを朗々と宣する。原作とは違うプロローグである。それはさておいて、みごと仇の首を討ち取る。

 それから一年半後、美濃遠山藩の加瀬総一郎(柄本佑)が森田座に現れ、伊納菊之助(長尾謙杜)の仇討ちの顛末を教えてほしいと聞きまわる。

 仇討ちに至る経過が、少しずつ解き明かされていく。敵役となる作兵衛(北村一輝)はなぜ菊之助の父親を斬って逃亡したのかなど経過を説明するのは面倒である。簡単に言うと、仇討ちは芝居仕立てだった。念には念を入れた演出により冒頭の仇討ちの場面となる。

 脇役人がよい。渡辺謙、高橋和也、滝藤賢一・・・。とりわけ仇役の北村一輝の演技が光る。ということで、原作をうまく脚色した監督の源孝志の技量を褒めたい。

 

2026年3月 2日 (月)

しんゆり寄席 ゲストは萬橘

 久しぶりの「しんゆり寄席」。3週間ほど前、チケットを買いにいったら、席はほとんど埋まっていた。残りは3席。後方の壁際の席しか空いてなかった。これはゲストの萬橘人気のせいかと思ったが、そうではなかった。いや、半分は当たっているけど・・・。

 地元の川崎信用金庫が40席まとめ買いしていた。お客様サービスである。だからか。40席はタダ。一般客にもサービスがあって袋入りのアラレ菓子が配られた。

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 今回の演者と演目

  初音家左橋   不動坊

  一玄亭米多朗  粗忽長屋

  三遊亭萬橘   火事息子

 いずれもおなじみの古典噺である。萬橘は今月初め、鶴川落語で聴いている。遊雀との二人会。鶴川では派手に動いたが、今回は少しおとなしい。

 マクラは自虐ネタ。娘たちから無視されているのを笑いに包む。一之輔の笑点ネタと同じである。

火事息子」は、臥煙(火消し)になりたいという息子を勘当してしまう。近隣で大火があったが延焼は免れた。活躍した臥煙はその息子だった。全身彫り物をしていた。

 前半は家の蔵の目塗りのシーンである。火が回らないよう泥を塗る。高い場所は苦手という番頭、生意気な丁稚、おかしなやりとりが続く。萬橘はばかばかしいギャグを交えて客を笑わせる。

 番頭は壁の釘に帯をひっかけることで両手が自由に使えるようになる。目塗りがはかどる。両手はブラブラ。ここで会場は爆笑となった。

 左橋がやった「不動坊」のマネをしたのだ。アドリブで。「不動坊火焔の幽霊だ・・・」。聴いたばかりの噺だから客席の誰もが分かっている。で、大笑いとなった。

 落語はよかったのだが、花粉が大量に舞っている。洟とくしゃみ。むかしより軽くなったとはいえ、まだまだ症状はでる。信金が配ったティシュもありがたく使わせていただいた。

2026年2月28日 (土)

「黒の牛」

  このところミニシアター向きの小作品を多く観ている。シネコンは子供向きのアニメや若者向きの漫画や小説を原作にしたものが多い。で、敬遠することになる。今回も地味な映画「黒の牛」をアートセンターで観てきた。ド派手な「ブゴニア」をもう一度観ようとも思ったのだが、踏みとどまった。

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 墨絵を映画にしたような内容。山の民が里に下り、ひとり暮らし始める。ある日、男は牛を見つけ連れて帰る。牛は田を耕す。村人から感謝されるが、ある日、牛は死んでしまう。男はまた独りの暮らしとなる。ストーリーだけを追うとそんな具合。時代設定は、明治の初めあたり、

 なんでも禅宗の修業過程を描いた「十牛図」という絵があるそうで、それをベースにしたという。要するに禅的ってこと。男が石垣の前で静かに瞑想するようなシーンがある。それが石仏のように見えた。静的なことはいいのだが、多少退屈でもあった。

 十牛図にあわせて、十の章に分かれている。映画は九章で終わる。エンドロールとなるが、十章目はそのあとで、短くコピーが入る。ちょっと笑える。見逃さないように。

2026年2月26日 (木)

乱横断

 麻生区役所前の階段を下りたところ、むかし10年以上前になるか、横断歩道があった。いまは50メートルほど東の交差点に移動した。向こう側に行くためにはその分余計に歩かなければならない。不便である。で、横断歩道のないところを渡る人が多い。

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 で、横断禁止の立て札が立っている。「乱横断」とある。聞いたことがない。調べてみると、以前から使われているようである。でも、「乱」には違和がある。まだ横断禁止ていどならわかるが、乱ってのは・・・

 この乱横断をなくすにはどうしたらよいか。簡単である。むかしのように横断歩道をつくればよい。歩行者は歓迎である。走るクルマもちょい先には信号。横断歩道があるからそれほどスピードを出しているわけではない。横断歩道が一つ増えたぐらいでどうってことはない。

 こういう場所はけっこうある。横断を禁止するより、歩行者視点から見て設置したほうがよい。

 道交法に横断歩道の設置基準があるのかもしれない。何メートル間隔とか。そうならば、実情に合わせる例外措置を設ければよい。

2026年2月24日 (火)

「グッドワン」

 映画紹介のチラシに「17歳の少女の親離れをさわやかに描くトレッキング映画」とある。タイトルは「グッドワン」。アートセンターで観てきた。

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 17歳の少女サムは、父親とその友人3人で、三日間のトレッキングをする。ただそれだけ。大トラブルに巻き込まれるわけではない。多感でナイーブな年齢のサムは、トレッキング中に大人っていいかげんだなあと感じる。すこし苛立つ。で、どんな行動をとるのか、というストーリー。

 ひたすら歩く。がけをのぼったり、水浴びをしたり。静かな映画である。月を眺めるシーンがある。地球照という表現がでてくる。初めて聞く。あとで調べてみると、月の欠けている部分に地球で反射した日の光が当たって照らされる現象とのこと。なにか意味があったようだが、わすれてしまった。地球照ということばだけ頭に残った。

 渓流や岩肌の映像が多い。これが美しい。平らな岩の上に石が積まれている場所がある。単なる石遊びなんだろうが、賽の河原で石を積む東洋的な光景を思い浮かべる。アメリカの渓流にも石を重ねて積む風習があるのかどうかは知らない。ちょっと印象に残った。

2026年2月22日 (日)

フィルターバブル 類友現象

 ネットで調べものをしたり買いものをしようとすると、たちまちのうちに関連商品の広告がでてくる。たとえば、先だって「仏足石」を調べたのだが、翌日には仏足石の広告が載っていた。55000円。買うわけない。だけど、おすすめの広告が表示される。こちらの好みや関心に応じて情報提供する。クッ キーという機能である。

 おせっかい。この程度なら笑えるのだが、さらに、こちらの意思や心まで読み取られていくようで気持ち悪くなる。ではあるけれど、我々はそれに慣れてしまっている。好みに応じて情報は偏ってやってくる。公平でも均一でもなく。

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 共和党に好意を持っている人には共和党に好意的な情報が集まるようになる。さらに共和党一辺倒の情報があふれ、共和党の熱烈なシンパとなる。民主党も同じである。民主党のシンパも同じように形成される。アメリカ社会が二極化してしまっているとよく言われる。この背景にはネットによる情報の偏在がある。

 これをフィルターバブルと呼ぶ。意味をAⅠに問うと、「検索エンジンやSNSがユーザーの過去の行動や好みに基づいて情報を自動的に選別し、その人に都合のよい情報だけを見せることで、異なる意見や多様な情報に触れにくくなる現象」という回答が返ってきた。わかりやすい。

 情報が、類が友を呼ぶがごとく偏って押し寄せると言うわけだ。で、わたしは類友現象と呼んでいる。

 ネット社会は、事象を公平公正に比べるといっていたチャンスを奪ってしまうリスクを含んでいる。実際、そうなってしまう事態も起きている。たとえば、アメリカ議会襲撃事件がそうだった。日本だと兵庫県知事選か。

 問題は、知らず知らずのうちに偏った情報で洗脳されてしまうおそれであることだ。むかしは情報が少ないことで洗脳が起きた。現在は偏った情報の洪水で洗脳されて事件となる。

 これを避けるにはどうしたらよいか。紙の新聞、できれば複数読むとかで対処できる。難しいことではない。

 と。ここまで書いて それが実際には容易でないことに気付いた。スマホが手放せない人に、紙の新聞を読めなどと叫んでも 無理。馬の耳に念仏なんだろうな。

 

2026年2月20日 (金)

「クライム101」

クライム101」。ロスを舞台にした犯罪ミステリーである。この手の映画を観るのは久しぶり。前に何を観たのか記憶にない。前評判がよいので観る気になった。

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 ルート101号沿いで宝石店襲撃事件が連続して起きている。手際よく盗んで犯行の手がかりを残さない。犯人はデービス(クリス・ヘムズワース)。そろそろこのしのぎも潮時と考えている。これを追うのが市警の刑事ルー(マーク・ラファロ)。ぼさぼさ髪でうだつのあがらないタイプ。コロンボを連想する。

  オーソドックスな対立軸であるが、追う者と追われる者の周辺事情もしっかり描いている。緊迫した場面では、ハリウッドおなじみの打楽器を駆使したBGMが流れる。これは常套手段。でも、迫力がある。

 会話の切れがよい。日本語吹替バージョンもあって、どっちを観ようか迷ったが時間の都合で原語バージョンにした。

 プレスリーやスティーブ・マックイーンの名が出てくる。好きな映画は「ブリッド」とか「華麗なる賭け」とか。そのあたりは年配者向きの映画になっている。

 もうひとり宝石店を襲う強盗犯がいる。半ぐれのような若者。犯行は荒っぽく、オートバイで逃げまわったりする。これが最後に絡み、三つ巴となる。

2026年2月18日 (水)

かかとケア

 かかとに痛みを感じた。ひび割れか。

  冬になるとかかとにうるおいがなくなり、角質がかたくなる。そこがひび割れとなり、うっすら血がにじむ。70過ぎてからこうなった。

 軟膏、オロナインとかメンソレータム、あるいはニベアを塗る。軟膏の効果で皮膚はやわらかくなり、血は見えなくなる。痛みも消える。

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 チョン・ジアの短編に「階級の完成」(『資本主義の敵』の一編)がある。かかとというか足の裏の話である。

 中年の警備員が、停まっているロールス・ロイスの後部座席の男を見つめるシーン。男は大会社の社長らしい。靴下を脱ぎ、助手席の若者から渡された軟膏を足に塗る。足の裏は赤ん坊のようにピンク色だった。

 警備員の男の足とは雲泥の差である。ひび割れ、水虫で堅い角質となっている。下層階級の足である。で、警備員は足裏クリームを買い、マッサージ店にも行く。

 貧富、階級の差は足の裏でわかるという寓話である。面白いが、現実にはそうでもなかろう。上流階級はスポーツで足を鍛えている。赤ん坊のようなピンク色ではなかろうと思うが、階級差のカリカチュアとして印象に残る。

 で、思い出したのが仏足石。お釈迦様の足跡を石に刻んだものである。むかし薬師寺で見た。案内してくれた薬師寺の偉い人、管主さんだったか、「お釈迦様は、ご覧のように扁平足です」と語った。偏平足か。なるほどそのようだ。

 薬師寺の建造物や如来像より、それを憶えている。

2026年2月16日 (月)

「ブゴニア」 ランティモスの世界

「ブゴニア」

 ヨルゴス・ランティモス監督の最新作である。これは見逃せない。「聖なる鹿殺し」以来、ゲテモノの肉を好むようにランティモスを観てきた。風変わりでグロテスク。世の常識をあざ笑うような作風は愉快である。主演はもちろんエマ・ストーン

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 養蜂を営むテディ(ジェシー・プレモンス)は、ミツバチが女王蜂を捨て逃げてしまう行動をいぶかしく思っていた。この異常事態を、地球人類を滅亡させようとするエイリアンによるものと考え、従弟のドンとともに、エイリアンであるミシェル(エマ・ストーン)を誘拐する、ミシェルは製薬会社のCEO。テディらは彼女を坊主頭にしてしまう。髪の毛が宇宙船と交信するアンテナだと思い込んでいたから。異常である。

 テディは、地球から手を引けとミシェルに迫る。ミシェルは何のことかさっぱりわからないが、しだいに彼らの意図を理解し、はげしく反論する。ミシェルの弁舌はさわやかで、会話はかみ合わないが、しだいに優位になっていく。

 荒唐無稽なストーリーだが、この映画、韓国映画のリメイクだそうだ。そんな映画は知らなかった。

 事態は思いがけない方向に進んでいく。大音響のBGMは迫力があり、画面に引き込まれる。タランティーノが喜びそうだ。登場人物はほぼ3人と警察官だけ。それだけにわかりやすい

 想像を絶する結末にあぜんとする。自民党の大勝ちと知ったときのあぜんとは似てなくもないけど、ま、これがランティモスなんだと納得する。

 ラスト近くに「花はどこにいった」がフルコーラスで流れる。若い人はこの歌を知らないかもしれないけど、中年以上なら誰でも知っている名曲である。

 愉快な映画だった。名作だ。でも、こんな映画は大嫌いという人もいるだろう。

 時間をおいて、もう一度観てみよう。

 ついでのひとこと

 ブゴニアの意味がわからない。調べてみた。

死んだ牛からミツバチが生まれるとする信仰がもともとの意味。牛を犠牲してミツバチのコロニーの成長を助ける。そこから、冒頭のミツバチの話と結びつく。

2026年2月14日 (土)

『資本主義の敵』

  ハン・ガンがノーベル賞をとってから韓国の小説は注目をあびるようになった。これまで一冊も読んだことはなかった。とくに理由はない。韓国映画はけっこう観てきたのだが・・・。

 チョン・ジアの『資本主義の敵』を新聞書評で知った。面白そう。で、読んでみた。

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 短編集。著者は女性ね。「資本主義の敵」というタイトルから社会主義活動を描いたものかとおもったが、そうではなかった。著者の父親は社会主義者としてパルチザン活動をした。その点では資本主義の敵であったが、ここで描かれるのは、資本主義に背を向ける自閉家族である。

 果てしない欲望を動力として大量生産と消費を追い続け、膨張する資本主義の電源をオフにする。慢性的な欲望はない。GDPに貢献するような消費活動はしない。そんな一家を描いている。それを嫌いながらも、欲望にまみれて前進するしかない我ら人類の不運な姿も映し出している。おもしろい視点だ。

 いくつもの短編はつながりはない。それでも、韓国の戦後史を色濃く反映している。それが新鮮に映った。韓国の競争社会も描いている。魯迅を連想させるような短編もある。滑稽な登場人物にも惹かれる。

 著者の父親についても言及しておく。戦後、国防警備隊にいた。済州島蜂起(4・3事件)の折。李承晩から鎮圧命令が出される。これを拒否した一団は山に逃げ込み、反政府闘争を始めた。社会主義を目指したが、北とも対立した。

 激動の時代であるが、そういうことがあったなどとは日本人は知らない。へー、そうだったのかと驚くだけである。

 他におもしろい短編もあるが、とりあえず、ここまで。ハン・ガンの著作も読んでみたくなった。

2026年2月12日 (木)

「ヤンヤン 夏の想い出」

 エドワード・ヤンが2000年に監督した「ヤンヤン 夏の想い出」をアートセンターで観てきた。昨年は「冬冬の夏休み」を観たが、こっちはホウ・シャオ・シエンの監督作品で、題名は似ているが、作風は違う。

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 ヤンヤンは8歳。その叔父さんの結婚式のシーンから始まる。トラブルが起きる。新郎の元恋人が披露宴に乱入してドタバタとなる。ヤンヤンの父親NJはこれも元恋人と再会する。こちらは騒ぎとはならない。結婚式の後、祖母が脳卒中で倒れ、意識不明となる。三谷幸喜風の始まりだが、ドタバタコメディとはならない。父親がおちついていて冷静。静かな展開となる。

  NJが共同経営する会社は岐路に立たされている。日本のゲームデザインの会社と契約しようとするのだが、どこを契約先にするか、選ぶ先が難しい。社内の意見も分かれる。妻は新興宗教にのめりこみ、家庭を離れてしまう。

 ヤンヤンの登場機会は少ない。カメラをもらい。人の後頭部を写す。前面からだけだと人物がわからないというのが理由。ちょっと変わっている。

 台湾人NJと日本人と会話するシーンがある。日本語でも中国語でもない。英語。そうなるのかと、映画の本筋とは関係ないけど、妙なところで感心した。日本人役はイッセー尾形である。

 ヤンヤンの姉は若者につきまとわれたり、NJの元恋人も未練たっぷりというシーンが続く。そしておばあちゃんは亡くなる。

 なんとなくだらだらした展開と感じたのは尿意のせい。上映時間は長く、3時間近い。2時間ぐらいにカットしてくれたらなあと思う。

 

2026年2月10日 (火)

『普天を我が手に 第三部』

  第三部、完結巻である。リズムに乗ったか、快調に読んだ。

 志郎は司法試験に合格し、司法研修所で学んだのち、検事になる。大阪に赴任して、関西の芸能興行を仕切るヤクザ組織の親分と対峙する。その後、外務省に出向し、アメリカの大学に留学する。

 四郎は運送業に手を出す。朝鮮戦争の特需で大いに潤うことになった。その名は政治家にも知られ、大物政治家(モデルは大野伴朴)に可愛がられるようになる。

 ノラは留学試験に合格し、アメリカの大学で学ぶ。南部にも行き、黒人差別の現実を知る。帰国後、アメリカの通信社に勤める。通産官僚と結婚し、二人の子を育てる。テレビ局に転じ、志願してベトナム戦争の特派員となって最前線を取材する。

 満は興行プロモーターとして先駆的な事業を成功させる。プロレス興行では元相撲取り(力道山がモデル)とともに大成功を収める。エンタメ界では確固たる地位を築く。

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 戦後史をなぞるように展開する。代議士となった四郎は過激派の引き起こしたハイジャック事件の人質となり北朝鮮まで行く。浅間山荘事件、ロッキード事件をモデルにした政治事件も扱われる。

 ちょっと広げすぎの感もあるけれど、戦後史をまるごと視野に入れた展開となる。途中、残りのページからすると、昭和の終わり、昭和天皇の崩御までが描かれると推測できる。つまり、昭和史まるごとなのだ。

 ネタバレにならないよう書くと、いずれも政治家となる。自民党総裁選も描かれる。そこが読みどころである。志郎と四郎の演説がみごと。その部分をもう一度読み返してみた。

 ふっと息を吐き、普天を仰いでみた。

 

 

2026年2月 8日 (日)

遊雀・萬橘二人会

 鶴川落語、今回は三遊亭遊雀三遊亭萬橘二人会である。同じ三遊亭だが所属団体は違う。遊雀は芸協、満喫は圓楽一門。それはどうでもよいが、円楽一門は常設の寄席には出ないというか出られない。そのあたりの事情はよくわからない。

 遊雀はアドリブを交えながら楽しそうに演じる。観客とじゃれているよう。落語を楽しんでいるのが伝わってくる。萬橘はボーっとしているようだが、噺に入るときちんとした古典噺を演じる。ギャクの仕込みもいい。わたしは二つ目のころから注目して聴いてきた。トップクラスの噺家である。

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 今回の演目

 遊雀   二番煎じ

 萬橘   軒付け

 萬橘   二階ぞめき

 遊雀   御神酒徳利

 あまり演じられない演目が入っている。「軒付け」は下手な義太夫語りのドタバタ噺である。

 中入り後の「二階ぞめき」も珍しい。談志のCDで聴いたことがあるが、ライブでは今回が初めて。若旦那は吉原が大好きだが、ひやかし専門。番頭は一計を講じて、家の二階に遊郭のちょんちょん格子をつくってしまう。若旦那は大喜び。そこで独り芝居を演じるという噺。萬橘は談志よりすっきりした噺に仕立てていた。

 鶴川落語は今回で60回になる。ひとつの節目。で、トリの遊雀は、ちょっと長いけど、めでたい噺をたっぷり演りますと語って、「御神酒徳利」に入った。

 この噺、久しぶりに聴いた。市馬とか鯉昇のみごとな「御神酒徳利」が印象に残っている。店の大掃除で家宝の神酒徳利が行方不明になってしまうのが発端。二番番頭がそろばん占いでその徳利を見つけ出す。じつは徳利の置き場所を忘れていただけなので、思い出せば、占いは当たって当然。それから神奈川宿、大阪と舞台は移っていく。長いストーリーである。

  コミカルに軽快に演じた。遊雀らしい。本格的に演らないところがよい。

2026年2月 6日 (金)

「クスノキの番人」

 イオンシネマで、東野圭吾原作の「クスノキの番人」を観てきた。

 ガラガラ。いくらウィークデーの午後とはいえ観客は少なすぎる。早々に打ち切りか。

 おとな向きのアニメ映画。原作はファンタジーだから、それをアニメにするのはわるくはない。入り口で小冊子をもらった。写真がそれ。

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 レイト(玲斗)は就いたばかりの職場を解雇されてしまう。寝れ衣だった。さらに事件を起こし逮捕されてしまうが、亡くなった母の姉のチフネ(千舟)の尽力で釈放される。チフネからある神社のクスノキの番人になるよう勧められる。そのクスノキには霊力があって、祈念すれば願いがかなうという大木だった。そのクスノキに、祈念に訪れる男や女がいた。レイトはそれらの人と交流を深めていく。

そんな物語なのだが、祈念とか受念、あるいは預念、たぶん漢字だとこう書くのだろうが、これがよくわからない。ファンタジーだから、ま、そういうものかと受け入れるしかない。

 あとで、もらった小冊子を読んでみた。表題は「クスノキの裏技」。独立した短編小説か、原作の一部なのかわからない。何も書いてない。これにより、レイトが玲斗だとかチフネが千舟だと知った。祈念とか預念は、ああ、そうかとわかるが、映画だけではわからない。それで、この付録のような小冊子を配ったのだろうか。

 こんな表現がある。「受念するには、祈りながら預念者のことを頭に思い浮かべる必要がある。」

 よくわからんが、祈祷とかそういう世界を描いた映画とおもえばよいのか。祈念、預念、受念のつながり・・・

2026年2月 4日 (水)

爪を研ぐ

 足の爪を研ぐのが億劫になった。爪切りが足の指先に届かないことはないが、つま先がよく見えないのだ。前屈姿勢も苦しい。

 電動で爪切りができるという機器があると知り、ネットで申し込んだ。

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 正しくは電動爪削りだった。ヤスリである。爪をヤスリ部分にあてると削れるということだが、安全のためか削っているという感覚がない。よく削れない。

 ひとつの指の爪先を削るのに時間がかかる。かったるい。ジョリジョリと軽快には削れない。これならヤスリのほうがはやく仕上がる。で、途中で止めてしまう。引っかかる部分だけをやすりで研ぐ。電動のこれはいらない。

 むかしは、どうしてたんだろう。

 古川柳に、「居候 足袋の上から 爪を切り」 がある。

 足袋を脱がずにそのまま爪を切る情景を詠んだもの。つまり、爪が伸びて足袋のつま先を破いてしまった。ものぐさな居候は、これなら脱がずに爪を切れると考えたわけだ。合理的とも言える。でも、風呂に入るときはどうしたんだろう。

 それはともかく、爪は切って、角をやすりで軽く研ぐぐらいでよい。

 

 

2026年2月 2日 (月)

「ただやるべきことを」

 韓国の造船業は、コンテナ船やLNG運搬船が好調で、活気を呈している。中国に続いて世界第二位の売上高。日本より上である。

 10年ほど前は、逆に造船不況でリストラや事業撤退の嵐が吹き荒れていた。「ただやるべきことを」は、そのころの造船会社を舞台にした韓国映画である。

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 ジョニ(チャン・ソンボム)は造船会社の若手社員である。人事チームに移動し、命ぜられたのはリストラ名簿の作成である。人事考課や年次などをエクセルに入れて、論理が通るような人選をする。恣意はない。それを組合側に提示するのだが、思うようにはいかない。あれこれ横やりが入る。上層部の役員からは、この人物は残すべきだなどといった意見も出てくる。それではロジックは崩れてしまう。悩ましい。深夜までの仕事が続く。一方、プライベートでは恋人がいる。ジョニには理解がある。彼女は妊娠する。それを機にまずは同居することになる。

 こう書くと、労使交渉は荒れると想像するのだが、思いがけずそういうシーンは少ない。リストラは仕方がないが、組合の連中は自分がその対象にならないようにと願うばかりである。ジョニなりに意見はあるとしても、それを抑え、上司にも同僚にも落ち着いて応対する。

 映画全体が静かである。現場は操業しておらず騒音も聞こえてこない。ジョニはもの静かで、声を荒らげるようなこともない。

 韓国映画といえば感情をむき出しにして怒鳴りあうのが定番だけど、この映画「ただやるべきこと」はそれがない。こういう韓国映画は珍しい。

 

2026年1月31日 (土)

搔痒記

 去年あたりから腰の周りがかゆくなった。それが背中に広がっていった。液状のムヒをぬってかゆみを抑えてきたのだが、治るようすはない。

 皮膚科に行ったら、皮膚が乾燥してかゆくなるのだと、ろくに患部を見ずに診断された。乾燥肌とは意外。正式な病名は「皮脂欠乏性湿疹」。ま、老人性カユカユ症ということだろう。塗り薬と保湿クリームを処方された。

 これが効かないのだ、ふたたび皮膚科に行ったら、別のステロイド入りの塗り薬を処方された。

 すこし効いたようだったが、もとに戻った。たいして効かない。藪医者め! この皮膚科には行かないことにした。

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 要はかゆみが止まればよい。薬局に行って、かゆみ止めを探した。塗薬はたくさんある。どれを選んでよいかわからない。しかも少量で結構高い。とりあえず、先だってテレビCMでみた新製品のメンソレータムかゆみ止めを買ってみた。メンソレなら安心感がある。

 朝と、風呂上りに塗ることにした。そこそこの効果はある。かゆみの程度も減った。夜中に目覚めるとかゆい。そんなときはめんどうなので液状ムヒを塗る。これでかゆみは治まる。

 治るまでにどのくらいかかるかわからない。乾燥肌は齢のせいだろう。保湿クリームを塗るせいだろうか、手の皮膚がスベスベになった。若返ったような気がする。若鮎のようなとまではいかないけど、手だけなら30代に見えるかもしれない。

 ついでのひとこと

 メンソレータムの製造元は近江兄弟社だったが、今はロート製薬になっている。

 近江兄弟社は、メンタームとして販売している。

2026年1月29日 (木)

「おくびょう鳥が歌うほうへ」

 寒い日が続いている。アメリカも大寒波だという。

 地球温暖化などどこかへ行ってしまったようだ。その分、反動で、今年の夏は猛暑、酷暑になるんじゃないかとの予感がする。

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  アートセンターで「おくびょう鳥の歌うほうへ」を観てきた。主演はシアーシャ・ローナン。「レディ・バード」や「わたしの若草物語」の演技が印象に残っている。

 ロンドンの大学院で生物学を学ぶロナは学業にも人間関係にもあれこれ悩んでいた。それを紛らわすため酒におぼれた。アルコール依存症。酒を断ち切ろうと治療もうけるが、うまくいかない。また酒を手にしてしまう。

 ロナは久しぶりに故郷のスコットランドの島に帰ってくる。そこでは父と母が暮らしているが、父は双極性障害を病んでおり、母は信仰に意識を向けていた。ロナにとって島は安らぎの場であるはずだったが、よみがえる過去に悩まされることになる。酒でのしくじり、恋人とのわかれ、父親の乱行などなど。

 風の音、波の響き、そしてカモメの鳴き声が聞こえてくる。この映画のテーマは自然のサウンドである。波の響きがたえず足元から伝わってくる。「アラン島」という映画を思い浮べた。アイルランドの島を描いたドキュメンタリー。波がうなる響きが主役のような映画だった。

 ストーリーはあってなきようなもの。ロナのこころに過去が蘇る。ロナはどのように再生していくのか。

タイトルの「おくびょう鳥」はロナが生態を調査するウズラクイナのことである。臆病でほとんど姿を見せることはない。たまに鳴き声を聞くことがある程度。

 ラストで、この鳴き声がかすかに聞こえる。お聞き逃しなきよう。

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