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「ポライト・ソサエティ」

  新宿に出かけた。ついでに「ポライト・ソサエティ」を観てきた。上流社会の意味か。

 空手教室のシーンから始まる。イギリス映画だが、舞台はたぶんパキスタン。インドのようでもある。上流階級の家族。主人公のリアは高校生、将来はスタントガールになりたいと思っている。フォールギャルである。姉のリーナは絵がうまい、美術志望。その姉に恋人ができる。相手も金持ちらしいが、ちょっと怪しい。調べてみると、姉の子宮を狙っているらしい。

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 音楽はロック調。パキスタンを感じさせない。突然、浅川マキの「ちっちゃな時から」が流れる。えっ、なんで? であるが、なつかしい。たぶん監督がこの曲が好きなんだろうと想像する。パンチがきいたいい歌だ。

 ちっちゃな時から 浮気なお前で、いつもはらはらする おいらはピエロさ・・・

 (この歌、50年ぐらい前にヒットした。今聴いても新鮮だ。知らない人はぜひYOUTUBEで聴いてもらいたい。)

 リアは後ろ回し蹴りが得意。このあたりはカンフーだ、

 といったぐあいで、ハチャメチャなコメディ。けっこう楽しめる。

 登場するのはほとんど女性。女の世界 マッチョな女性も登場する。空中を回し蹴りで跳ぶシーン(空中後ろ回し蹴り)がビューティフルである。

 

2024年9月 9日 (月)

 赤坂スイング・オールスターズ

 暑さがぶり返した。たいして夏バテもせずやり過ごしたと思っていたのに、ほっとする間もない。汗で目が覚める。眠れない。

 赤坂にジャズを聴きにいった。「赤坂スイング・オールスターズ」。去年の今頃も聴いた。主としてスタンダードナンバーを演奏する。観客もオールドジャズファンばかり。私と同年輩がほとんど。寄席と変わらない。

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「朝日のごとくさわやかに」「世界は日の出を待っている」「スターダスト」「魅せられしギター」「アンフォゲッタブル」・・・おなじみの懐かしい曲である。50年代、60年代、ラジオから流れていた。

 演者の一人、秋満義孝さんは今年95になった。スイングジャズピアノのトッププレイヤーとして活躍してきた。この歳になってもピアノを弾けるとは大したものだ。秋満ピアノを聴くと、こころ落ち着く。

 花岡詠二さんはクラリネットプレイヤーの第一人者。芸達者だが、口のほうも達者。ダジャレは健在。観客を笑わせる。

 これにギター、ベース、ドラムスが加わってのクインテットだが、いつもボーカルの鈴木史子さんが加わっての赤坂スイングオールスターズである。

 帰りは赤坂カサスでちょいといっぱい。いい暑気払いであったが、外はまだまだ暑い。

2024年9月 7日 (土)

「愛に乱暴」

  イオンシネマで「愛に乱暴」を観てきた。江口のりこ主演。江口ファンとしては見逃すわけにはいかない。

 ずいぶん売れっ子になった。むかしから、突き放したような演技やけだるい雰囲気が気に入っていた。一度だけ立ち話をしたことがある。それはどうでもよい。

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 桃子(江口のりこ)は夫の実家の敷地内で暮らしているごくふつうの主婦。しかし夫(小泉幸太郎)との関係は倦怠期というか稀薄になっている。ノラ猫を捜したり、ごみ置き場を清掃したりする日々。夫から、つきあっている彼女がいると告白される。すでに子を宿しているという。これをきっかけに桃子の気持ちはゆがんでいく。居間の畳をあげ、買ってきたチェ-ンソーで床板を切り取る。ジェイソンを思い浮かべる。床下に秘密がありそうだ。家庭菜園でとれたスイカを女のもとに持っていくシーンも意味ありげ。といった展開で、桃子の行動はさらに異様になっていく。

  カメラは手持ち、桃子の背後から撮影する。桃子のいらだちというかやり場のない感情を映し出す。

  さわやかな映画ではない。すっきりしないけど、ラストはおだやかである。アイスキャンデーを食べるような清涼感が伝わってくる。

 ついでのひとこと

  と、書いてみたが、すっきりした文章になっていない。ネタバレを避けようとしているせいか。

 源氏物語のシーンが浮かんだ。スイカを持って女に会いに行くシーンは光源氏が妻を寝取った柏木と会って相手を非難する場面と重なる。設定は似ている。

 桃子は、過去と決別する。どう生きていくのだろうか・

 

2024年9月 5日 (木)

生田寄席 文菊

 今回の生田寄席は、古今亭文菊。人気の噺家である。いつもは常連客が多いが、新規の客(たぶん追っかけ)が多かった。そのため満席。屋外、ガラス窓越しの席まで用意することになった。

 茶坊主のように登場し、若旦那風の雰囲気、いつもながらの風情である。

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 今回の演目

 あくび指南

 水屋の富

 いずれもおなじみの演目である。「あくび指南」はあくびの稽古をするという実にばかばかしい噺である。それをどの噺家よりも丁寧に、たっぷり演じた。だから、ばかばかしさが増す。笑える。

水屋の富」は、天秤棒を担いで水を売ろ男の噺。なけなしの金をはたいて富くじを買ったところ一等が当たる。もらった800両は盗まれてはいけないと床下に隠すが、盗まれるんじゃないかと夜も眠れなくなる。金を取られる夢をみむだけで寝不足になってしまう。さて・・・。

 いくつものエピソードを織り込んで丁寧に演じる。声の響きもよい。江戸っ子らしい啖呵も心地よい。

 ばかばかしいお笑いがさらに可笑しくなる。大谷のホームランはスカッとさせてくれるが、文菊の噺はうっとおしい気分を解き放ってくれる。心のコリをほぐしてくれる。

 よいひとときだった。

 暑さも和らいだ。芭蕉の句が浮かんだ。

 あかあかと 日はつれなくも 秋の風

2024年9月 3日 (火)

「きみの色」

 ようやく秋らしくなってきた。アブラゼミの声は消え、ツクツクボウシが鳴く。ヒグラシがふさわしいのだが、なぜかこの辺りではヒグラシは聞かなくなった。

 山田尚子監督のアニメ、「きみの色」を観てきた。

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 高校生が主人公。トツ子はちょっと変わっていて、人の個性が色に見える。緑とか赤とか美しい色とか。アニメの映像は、淡くて霧がかかっているよう。たいていのアニメは鮮やかな色調なのだが、「きみの色」は派手な色は抑え、落ち着いた色調となっている。

 トツ子は、学校を辞めてしまったクラスメイト・キミを捜す。キミは美しい色を放つ女の子だった。本屋で働いているとのことで、町中の本屋を巡り歩く。キミがギターの練習をしているのを見つける。もう一人、古書店で男子のルイと出会う。音楽好き。三人は意気投合してバンドを組むことになる。

 ミッション系の学校で校則は厳しいようにみえるが、教師は寛容で、クラスメイトも優しい。ルール違反をしても、とりたてて大事にはならない。そして、彼らは学園祭で演奏することになる。ただそれだけ。暴力も恋愛模様もない。ストーリーは単純である。

 監督も脚本も女性。前回観た「ラストマイル」と一緒。映画でも女性が大活躍する時代となっている。繊細さは女性の方が優れている。小説の世界では、すでに女性作家が優位となっている。

2024年9月 1日 (日)

「ラストマイル」

 久しぶりにスリリングな日本映画を観た。「ラストマイル」。

 巨大な宅配用の物流倉庫を舞台とするものだ。アマゾンの配送センターを思い浮かべればよい。宅配品が届け先の家庭で爆発する。爆発物が仕掛けられていた。犯行声明があった。12個に爆発物を仕掛けたとのメッセージ。折しもブラックフライデー。もっとも忙しい時期である。一つずつX線検査で確認しての出荷となるから、入庫も配送も大混乱となる。

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 巨大配送センターを舞台とした映画はいくつもあった。低賃金で仕分けや配送を担う労働者を描いたもの。今回の「ラストマイル」も同様であるが、それと並行して爆発藩を追うサスペンスものとなっている。ちなみに配送者の収入は一個配達して150円。

 派手なアクションシーンはない。スタントをつかうような派手な爆破シーンもない。そのあたりは控えめである。

 脚本は野木亜紀子、監督は塚原あゆ子。いずれも女性。主人公のセンター長も女性、満島ひかり。アクション映画にしてはハードではない。まなざしは優しいし、細やか。

 センター長は倉庫を止めないように踏ん張る一方で、犯人探しの手がかりを探る。内部の犯行が疑われる。

 警察は、つまり男性群はほどよくバカに描かれる。ま、よくあるパターン。ラストまで緊迫した展開となる。脚本がうまい。楽しめた。

 この映画、かつてのテレビドラマの延長にあるという。観ていないし、まったく知らなかった。

 タイトルのラストマイルは、ラストワンマイルともいう。むかし耳にしたことがある。配送の最後は人の手になる。インターネットがどれほど発達しても、最後に届けるのは人力、ヒトになるといった意味で使われた。そうなのだが、いずれ、ドローンやロボットに変わっていくことになるかもしれない。

  しんゆりのイオンシネマにしては観客は多かった。大ヒット映画になるかもしれない。

 

2024年8月30日 (金)

 喬太郎・白酒・一之輔三人会

 久しぶりの落語会、夜席、柳家喬太郎・桃月庵白酒・春風亭一之輔三人会に行ってきた。目が悪くなったので、夜の外出は避けるようにしている。今回は近所の麻生市民センターだから、どこに段差があるとかすべりやすいとかわかっている。転んだりするようなことはなかろう。念のため、懐中電灯も持って。

 一之輔が「笑点」メンバーになったこともあるのか、1000人収容できる大ホールは満席となった。

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 今回の演目

 白酒   青菜 

 一之輔  蛙茶番

 喬太郎  孫、帰る

「青菜」は夏らしいおなじみの演目。柳陰(ヤナギカゲ)という冷やして飲む酒が登場する。焼酎を味醂で割ったもの。白酒らしい悪口のギャグを挟みながらテンポよく最後のオチ。ふつう「弁慶にしておけ」となるのだが、これを、一瞬、間をおいて「べんけい」とやった。なるほど、こういうやり方もあるのかと感心した。

 一之輔は縦横無尽。詳細は省くが、マクラで観客を鎮める中村獅童のエピソードなどを織り込む。「蛙茶番」は素人芝居の話。ふんどしを締め忘れた舞台番の半ちゃんは、舞台の上で着物の裾をマクってしまう。堂々と。

 トリの喬太郎はいつものように見台。ひざがわるので正座ができない。演目は「孫、帰る」。ずいぶん昔、聴いたことがある。喬太郎の創作落語。CDを持っている。

 おおよその筋は変わっていないが、ギャグは今どきになっている。重松清の小説を彷彿させる。死んだ孫のケンイチが登場する。オチは「覆水盆に返らず」をもじって「複数盆に帰らず」。と書いただけでは、さっぱりわからないと思うが、説明するのは面倒くさい。途中でケンイチが死んでいることがわかる。そのあたりが見せ場。

 はねて、外はあいかわらず降り続いている。台風が近づいている。明日も明後日も雨か。31日には、野外でイベントがあるんだけど、ムリだろうな。

2024年8月28日 (水)

 トンネルのことなど

 昨日一昨日と奥只見など新潟に行ってきた。団体ツアーである。越後湯沢まで新幹線で、行ってあとはバス。

 雨が懸念されたが、まったく降られることはなかった。日本のあちこちでは豪雨となっている。それをうまく避けることができた。

 奥只見湖には。奥只見シルバーラインという自動車専用道路で行く。ダム建設用に造られた。全長22キロあるが、そのほとんどがトンネル。道は狭くて暗い。一番前の席だったので、前方がよく見える。対向車が大型だと徐行するか立ち止まってすれ違うことになる。途中、路面が濡れてきた。雨が降ってきたらしい。しばらくすると前方がくもってきた。霧。ますます視界が悪くなる。事故なく運転できるものだと感心する。最前列の席は自分が運転しているようで心臓にわるい。

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 もうひとつ、トンネルの話題。二日目、清津峡渓谷トンネルに行った。どんなところか知らない。トンネル内を徒歩で行く。入場料が1000円。ちょっと高い。700メートルほど歩いたところにあるのが、景観スポット。この光景はテレビで見たことがある。それがここだとは知らなかった。写真を撮るには絶好の場所だ。入場料ぐらいの価値はある。

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 もう一枚は角田岬にあるトンネル。

 おみやげ屋に立ち寄ると、コメが売り切れとなっている。コメどころである新潟でも品不足らしい。近くの広い田圃には稲穂が垂れているのだが。刈り取りは来月になる。

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 おみやげにコメは不向き。あれは重い。軽くて小さいものがいい。自家用車なら別だが。小玉スイカをおみやげにして、重そうに運ぶ人がいた。東京のスーパーでも売っているのに・・・、ま、どうぞご自由に。

 

2024年8月25日 (日)

 黒ニンニク

 妻がことしも黒ニンニクをつくっている。

 青森の農家から段ボールいっぱいのニンニクを買った。使わなくなった炊飯器に入れ、保温状態にしておくだけ。10日か2週間ほどでできあがる。

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 出来たてはホカホカ、ねっとりしている。ニンニク臭はない。甘い。なぜ甘くなるかはわからない。

 黒にんにくはからだによいと言われるが、どう良いのかわからない。夏バテに効くのか。ひとかけら程度で滋養強壮ということもなかろう。ビールのつまみ程度とおもえばよいか。

2024年8月24日 (土)

 猫が小戯れて

 ラジオ番組で「ネコがこじゃれて」と若い女性が語っていた。こじゃれ。はじめて聞いた。洒落た店を、こじゃれた店と表現することがある。それと関連するのか。じゃれるとしゃれは意味は違うが、発音が似ている。で、こじゃれるなどという表現が生まれたのだろうと考えてみた。

 じゃれるは、ざれる、戯れるである。戯れるを少しくずして、じゃれるとなった。そこから強調した「こじゃれる」が生まれた。洒落(シャレ)と戯れ(ザレ)の発音が似ているからということではなさそうだ。

 小戯れるも、こじゃれるも、聞いたことがない。若い人は使っているのだろうか。それとも方言? 

 こじゃれるのイメージは、子猫である。大きなドラ猫はじゃれない。

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  もうひとつ、「こ」

  ここ数年、こまめな水分補給をという表現を耳にするようになった。熱中症予防である。まめの頻度を上げるようにと強調している。こまめな水分補給以外で聞くことはなかったが、もうひとつ耳にした。テレビのアナウンサーが「台風情報をこまめに確認してください」と語っていた。

  はい、はい、こまめな報道、ありがとうございます。

  わたしは、こまめにトイレに行くことが多くなった。頻尿。年のせいである。

2024年8月22日 (木)

 新札を手にしてません。

 新紙幣が発行されて一ヶ月以上たつ。いまだお目にかかっていない。

 銀行で二度ほど金をおろしたが、いずれも旧一万円札だった。お釣りでもらう千円札も旧札。あれほどテレビでは新札新札と大騒ぎしていたのに、出回らない。ふつうに手にするまでにはしばらく時間がかかるらしい。ま、どうでもいいけど。

 悪貨は良貨を駆逐するということばがある。グレシャムの法則。あれは「悪貨は良貨を秘匿する」と言うのが正しい。

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 江戸時代、小判(金貨)を何度も改鋳した。金の含有率を減らしてである。旧小判の方が価値がある。すると旧貨幣は手元に残しておき、新貨幣を使おうという気になる。旧小判(価値の高い良貨)は流通せず、新小判(悪貨)ばかりが流通することになる。つまり、良貨は秘匿されることになる。

 100両貸していたなら、旧貨幣で返してくれ、新貨幣なら金の含有量が減った分を上乗せして返済してもらわないと困るといったもめごとも起きた。

 幕府には、旧小判を回収して、原料の金をため、財政再建をしようとする思惑があったが、想定通りには金は回収できなかった。結局、プレミアムをつけて両替商などと取り引きすることになった。それで、ようやく新小判が多く出回るようになった。当初の思惑ほどではなかったが、それでも財政再建には多少の効果はあった。このあたり、学校の歴史テキストには出てこない。私は山室恭子さんの著作で改鋳事情を知った。

 現行のお金は紙幣だから良貨も悪貨もない。それで、旧のまま。渋沢さん、津田さん、北里さんがふつうに出回るには時間がかかるようだ。でも、暮らしには関係ない。 

 涼しくなれば、少しずつ出回るようになるだろう。秋の虫と同じか。

 まだ、暑いからねえ。

2024年8月20日 (火)

「大いなる不在」

 DVDディスクプレイヤーが壊れた。長く使ったので、買い替えることにした。

 古いデッキを取り外し、あらたにセットしようとしたのだが、これがうまくいかない。目が悪くなったので、マニュアルがよく読めない。サイドボードを動かし、これが重い、配線を見極めながら、セットする。これでうまくいくかと思ったら、ビデオが映らない。やり直し。一本つながっていないことがわかった。で、ようやくのことで完了、映った。炎天下を歩くより汗をかいた。昔なら朝飯前の作業ができなくなっている。歳だ。ぼける日が近いように感じる。認知症予備軍だと自覚する。うすらうすら自覚症状はあるのだが。

 アートセンターで「大いなる不在」を観てきた。認知症の話だ。

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 冒頭、事件発生とばかり防御服を着た警官がやってくる。どういう事情かよくわからないが、警察に確保されたのは元大学教授の陽二(藤竜也)。息子の卓、たっくん(森山末來)は、久しぶりに会う父に驚く。認知症が進んでいたのだ。まったくぼけているわけではない。まだらぼけである。父親が再婚した直美(原日出子)は家を出ており、行方がわからなくなっていた。

 映画は過去と現在が交錯する。父親は、しっかりしているようでもあり、ぼけて現実がわからなくなってしまっているようでもある。息子は戸惑うが、イライラすることはない。現実を受け止めながら父親と接する。過去と現在がこ交錯するので、わかりにくい点もある。まあ、こちらもボケが入っているからね。

 記憶をよびもどしたり過去がよみがえったりするキーとなるのは日記である。どのようなことが書かれているのか、実のところよくわからないが、詩のような部分もある。幻想のようでもある。

 藤竜也の演技は印象に残る。森山末來の抑制の効いた演技もよい。

 ということで、ボケ予備軍の人におすすめ。

2024年8月18日 (日)

「フォールガイ」

 パリ・オリンピックの閉会式にトム・クルーズが登場した。

 ワイヤーアクションで屋根から飛び降り、ノーヘルでバイクを走らせた。向かったのは次回開催のロス。HOLLYWOODの大看板が映し出される。うまい演出だった。トム・クルーズはスタントを使わないと言われている。どこまでそうかは知らないけれど、飛び降りはスタントなしだった。

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 イオンシネマで「フォールガイ」を観てきた。スタントマンの話である。主演はライアン・ゴズリング。「ドライブ」とか「ラ・ラ・ランド」を思い浮かべる。

 スタントマンのコルト(ゴズリング)は撮影中の落下事故で大けがを負う。18か月後、現役復帰する。恋人だったジョディが映画初監督となると聞いたからだ。ジョディは復帰に反対するのだが、コルトはそれをおしのけ、スタントこそわが人生とばかり命がけのアクションに挑む。カーアクションでは何回転もして迫力あふれる危険なプレイをやってのける。もちろんケガはない。「ワイルド・スピード」のようなど迫力のシーンにスタッフも大喜びする。

 撮影中に主演の俳優が失踪してしまう。行方を捜すのだが、わけのわからない方向に事態は動いていく。しかし、それはどうでもよいと言わんばかりの撮影シーン、つまりスタントアクションシーンが続く。これぞハリウッドスタイルの映像である。後半になって、失踪した俳優も登場してドンパチ、ドタバタとなる。映画はこうして撮られていく、ということを楽しむ映画だとわかる。

 それにしても、ハリウッドのアクション映画は大変である。ありきたりの映像では観客を楽しませることができなくなっている。

 体操競技の難度がどんどんあがっている。ウルトラⅭ程度でも高得点がとれない。離れ業を繰り出さないとメダルを手にすることはできない時代になっている。アクション映画もそれと同じ。難度は増している。

 最後の最後まで観客を楽しませようとする意気込みを感じるのだが、その一方で、こうまでもしないと映画はヒットしないと考えているハリウッド製作陣のつらさのようなものを感じてしまう。そういう目で観るのも楽しいかもしれない。

2024年8月16日 (金)

臨死体験 もういいかい

 ひさしぶりに友人とおしゃべりをした。病気の話題がはずむ。

 友人はペースメーカーを入れている。脈拍がおかしくなって入院した。入院中、脈が止まったという。ふーっと気持ちよく意識が遠のいていった。白い着物の、ぼさぼさ髪の爺さんが現れて、あんた、まあええかね? と問いかけ、赤いボタンを押そうとした。それに対し「孫が小さい。もう少し待って欲しい」と答えると、すっと爺さんは消えたという。

 死神か。おもしろいのは、そのことばがなぜか名古屋弁だったことだ。すこし古い名古屋弁なら、おみゃあさん、まあ、ええきゃね、となる。

 この話をひとにしたら、私も同じだったとか、別の人もそんなことを言っていたとか、類似した事例がいくつも出てきたという。臨死状態で出没する死神は名古屋弁をしゃべる。赤いボタンを押そうとする。

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 落語の「死神」はローソクである。ローソクの火が消えたら命が尽きることになっている。ローソクの火は風が吹いて消えるとか、間違って吹き消すこともある。くしゃみでも消える。死神が吹き消す場合もある。さまざま。そこが面白いのだが、名古屋弁の死神は赤いボタンである。

 幸い、私に臨死体験はない。いずれ死神は訪れるだろうが、そのときは、なんと言えばよいのだろうか。考えておこう。赤いボタンを奪ってしまうという手もある。

 こんな妄想がでてくるのは、ま、暑いからだろうね。

 百日紅は元気だ。

2024年8月14日 (水)

「めくらやなぎと眠る女」

  暑さが続く。老人がおしゃべりをしている。くそ暑い! くそ暑い! と連発している。ま、そうである。シット!

 この暑さを酷暑とも猛暑とも言う。猛暑にはクソアツイとルビを振ったらどうか。

 暑さの中、アートセンターに出かけ「めくらやなぎと眠る女」を観てきた。村上春樹のいくつかの短編をアニメにしたもの。短編をオムニバスのようにただつなげたものではない。分割したりして流れをつなげるよう工夫を凝らしている。とはいえよくわからない。村上風幻想ワールドは観客を戸惑わせる。原作は未読。

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   東日本大震災のあと、小村の妻キョウコは突然家を出る。小村はキョウコがいるらしい北海道に向かう。小村の同僚の片桐は会社ではうだつの上がらない中年男。大きなかえるくんと出会い、やがて来る大地震から東京を救おうとする・・・。

こう書いてみてもよくわからない。幻想というか暗喩というか。読者や観客はきつねにつままれる。ま、かってに想像してくれということだろう。これが村上ワールドなんだろうが、わたしにはよくわからない。

 かえるくんって、なんだろうか。巨大な青蛙。ジブリならトトロか。

 映画が終わって外に出る。暑さは続いている。セミがうるさい。

2024年8月12日 (月)

ナラ枯れ 北上

 暑さでまいっているのはヒトばかりではない。イヌもへばっている。

 蚊を見かけない。だから刺されない。草陰に潜んでいるのだろう。元気なのはセミだけか。やたらうるさく鳴いている。

 ナラ枯れの被害も聞かない。ナラ枯れを引き起こすキクイムシ(カシナガ)は暑さにやられたようだ。あるいは、涼しい場所を求めて移動しているらしい。昨年も猛暑だったが、今年はそれ以上。このあたりではキクイムシは棲息できなくなっている。

 問題はある。それ以前にやられたナラやカシの木は枯れてしまって倒木のおそれがある。大風でなくても倒れる。やられた木は早めに切ったほうがよい。我が家の近くの公園にはナラ枯れでやられた木が立っている。いずれ倒れるが、木立の中なので、倒れても人的被害はまずない。

 一方、北の方、青森などでは、被害が拡大しているという。対策として、切った丸太にキクイムシのフェロモン剤を入れて、おびき寄せる作戦をとっている。これを防波堤として、被害が広がらないようにしているとのことだ。すべて駆除することは難しいけど、たくさんおびき寄せれば、キクイの被害はそこにとどまることになる。

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 話は変わって、街中の植栽。切り株が目立つようになった。倒木によって人的被害がでないよう予め木を切るようにしているからだ。高齢となったソメイヨシノも切られている。近くの麻生川沿いの桜並木も切り株が目立つようになった。

 写真はナラでもサクラでもないが、幹にウロ(空洞)ができ。倒木の恐れがあるので切られたもの。切り株になっている。これが何本もある。切り株はそのままにされ、なので、残された根本にはコケがはえている。養分を吸い取っている。いずれカスカスになる。

 切り株を掘り出したら、そのあとに何を植えるのだろうか。この暑さが続くなら、ヤシでも植えることになるかもしれない。

2024年8月10日 (土)

「蛇の道」

 アートセンターで黒沢清監督の「蛇の道」を観てきた。

 かつて制作した映画をリメイクした。前作は観ていないのでコメントすることはできない。何らかの思い入れとかやり残したことがあったのだろう。自身の作品をリメイクしたものに市川昆の「ビルマの竪琴」がある。あれは、モノクロのものをリメイクではカラーにしていた。

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 さて、「蛇の道」。フランスで精神科医として働くサヨコ(柴咲コウ)はアルベールという人物と知り合う。アルベールは8歳の娘を誘拐され殺されている。サヨコは復讐に燃えるアルベールに協力することになる。犯行はある財団が関与していることを突き詰めたアルベールはその一員を拉致し、拷問しているが、白状しない。このあたりの経過はよくわからない。たぶん後半で明らかにされるだろう。伏線の回収ってやつだ。

 財団は多数の子供を拉致して臓器販売までしているらしい。サヨコは財団探りに傾注し、アルベール以上にのめり込んでいく。なぜ?

 ざっとこんなストーリー。サスペンスである。ヌワールと言った方がよいか。黒沢清らしい謎につつまれており、最後まで明らかにされないこともある。ちょっと不満がのこる。警察は何してたんだよ! と、ごく普通な感情が浮かぶ。すっきりしない。

このすっきりしない感は濱口監督の「悪は存在しない」にもあるが、すこし違うような気がする。連想の質の違いといったらよいか。

  ついでのひとこと

 パリ・オリンピックはまもなく終わる。この間、NHKはオリンピックに乗っ取られている。オリンピック番組を観ないわけではないが、アナウンサーや解説者の絶叫は耳障り。蝉の声よりうるさい。

 

 

2024年8月 8日 (木)

『夜明けのすべて』

 映画「夜明けのすべて」を観たのは今年の5月。なにか起きそうで起きない展開がおもしろかった。映画は原作とはちょっと違っていて、原作にはないエピソードが加えられていると、知人が語っていた。詳しくは聞かなかったので、ちょっと気になっていた。

 映画「碁盤斬る」が落語の「柳田格之進」と違っているのと同じようなものだろう。「文七元結」の佐野槌の女将さんを登場させていた。

 で、原作『夜明けのすべて』を読んでみた。原作者の瀬尾まいこの作品が最近の国語教科書に載っていたことも読むことにした理由のひとつ。

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 映画と設定は同じ。ただし、PMS(月経前症候群)の藤沢さんと、同僚のパニック障害の山添くん、交互に二人の視点で描かれている。映画ではでは藤沢さんが主役だが、原作本では二人が主役である。以前紹介した『方舟を燃やす』も二人の視点で描かれていた。

 小さな会社(映画では学習用の望遠鏡などを製造販売している会社だが、原作では建築資材の卸売りの会社)が舞台。藤沢さんはPMSで同僚に迷惑をかけるので、転職した。後から入社した山添くんは電車にも乗れないようなパニック障害を抱えていた。共通して障害はあるものの仕事をやめるようなトラブルは起こしていない。会社はギスギスしておらず、ゆるやか。藤沢さんは山添くんにちょっとおせっかいだが、恋愛感情はない。山添くんも藤沢さんを避けるわけでもなく、淡々としている。 

 小さなエピソードというかトラブルは起きるもののずっと平穏である。二人の仲は縮まっていくようにみえるが、そうでもない。ただ、PMSもパニック障害も少しずつ緩和していく。

 この栗田金属という会社自体が癒しの空間になっている。社長も穏やかで利益追求なんてことを優先していない。誰かが休めば誰かがごく自然にカバーする。額に汗して頑張るなんてこともない。

 で、クライマックス。劇的な展開とはならない。穏やかな風が流れている。この先どうなるかといった予感はないわけではないけれど。どうでもよい。これでよいのだ。

 

2024年8月 6日 (火)

「お隣さんはヒトラー?」

 アイヒマンが南米でモサドのよって拘束されたのは1960年。その時代の話である。

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 ポーランドからコロンビアに移住したポルスキーは町はずれの一軒家に住んでいる。隣にドイツ人のヘルツォークが引っ越してきた。隣家と境界争いとなり、庭で大切に育てていた黒いバラの木は隣家側となってしまう。隣の飼い犬が立ち入ったり何かとトラブルになる。ヘルツォークはいつもサングラスをしている。どことなく胡散臭い。ある日、サングラスを外したヘルツォークの目を見て、ヒットラーではないかと疑いをもつ。風貌はヒトラーに似ている。そうか、ヒトラーは生きており、南米まで亡命したのではないかと疑い、隣家を探ることになる。

 ヒットラーのプロフィールや身体的特徴、趣味嗜好まで調べ上げ、隣人がヒトラーであることを確信する。当局にうったえるが、取りあってくれない。

 交流がないわけではない。互いにチェスが好きであることがわかる。手合わせをすることになる。落語の「笠碁」を思い出すが、同じようではない。

 ポルスキーはホロコーストで家族を喪くしており、ナチスに対する憎しみは消えるものではない。さらに身体的特徴、嗜好などを探り、決定的証拠を見つけようとする。

 で、どうなるか、であるが、それを言えばネタバレになってしまう。ネタバレの部分がおもしろく、笑えるのだが・・・。意外な展開が待ち構えている。

 音楽も軽く、コメディータッチ。深刻さを和らげるような雰囲気となっている。落語を聴くような感覚で気楽に観ることができる。

 この映画、ポーランドとイスラエルの合作。2年前ほどの作品である。今のイスラエルを考えると、こんな映画を作る雰囲気になっていないかもしれない。

 

2024年8月 4日 (日)

イスラエルのゆくえ

栄光への脱出」という映画があった。いまから60年以上も前に公開された。多くのユダヤ人がイスラエルに帰り、国づくりに励むといった内容。勇壮なテーマ曲もヒットした。わたしは当時中学生だった。

 イスラエルの建国などを調べた。中学生としてはそこそこの歴史知識を身につけたと思う。イスラエル寄りの映画だから、当然イスラエル贔屓になった。以後、隣国からのテロにもめげず確固たる国をつくったと考えていた。

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 が、国づくりは侵略でもあった。第一次大戦当時、イギリスは金持ちユダヤ人の資金目当てでイスラエル建国を約束するとともに、先住民であるアラブ人には独立(当時はオスマントルコの支配下にあった)を約束した。二股膏薬である。イスラエルへの入植者は増え、アラブ(パレスチナ)との衝突が激化した。第二次大戦後、国連は、6%程度の領土しかなかったイスラエルに半分以上の土地を与えることを承認した。これで、両国の妥協がなりたてば問題はなかったが、そうはいかない。

 パレスチナはゲリラ的にテロ攻撃をしたが、軍事大国をめざすイスラエルには太刀打ちできなかった。イスラエルはさらに軍事力を高め、パレスチナに侵略し、領土を広げていった、というのが現在までの経過である。

 ハマス(パレスチナの軍事組織)がロケット弾を撃ち込めば、イスラエル軍はたちまち反撃する。死者で比較すると、当初は倍返しぐらいすると休戦協定ができた。その後は、死者の比率は倍返しどころか、10倍20倍となり、前回のいざこざでは25倍ぐらいで休戦となった。

 今回、イスラエル側は1200人か1300人ぐらいの戦死者を出した。たくさんの被害で、この分だとパレスチナ側に2万人ぐらいの犠牲がでると思っていたら、イスラエルの攻撃は止まず、現在まで3万人を超す犠牲者を出している。女も子供も多く亡くなっている。いい加減にせよとイスラエルに言いたいが、声は届かない。

 俺たちはナチのホロコーストでやられた、だからこの程度のことは許されると考えているのだろうか。

 かつて「グローイングアップ」という映画があった。青春コメディである。「ミスターロンリー」などのオールデイズが流れていた。カルフォルニアあたりを舞台にしたアメリカ映画とおもったら、これがイスラエル映画なのだ。ほとんどイスラエルを連想できないコメディだった。違うと言えば、徴兵制の話題が出てきたことぐらいか。そんなことを憶えている。今のイスラエルではこんな映画は創れないだろう。

  ついでのひとこと

  人生で大切なこともそうでないことも、ボクは映画で学んだ。

«海を眺めていた