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里山フォーラム

 麻生区は緑地が多い。山と里の間にある地域を里山と呼ぶが、麻生区は農地や山林も多く残されている。この里山の自然に親しんだり保全に取り組んだりしているグループがいくつもある。この一年の活動を報告するイベントが開催された。「里山フォーラムin麻生」。

 このイベントのお手伝いをしている。大したことはしていないが、今回は受付などを担当した。

 麻生区は東京のベッドタウンとして発展した。住宅街が広がっているが、自然が豊か。山林や農地も多く残されている。川崎市の中でもとりわけ緑地が多い。

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 山林は放置すると荒れてしまう。適度な伐採や下草刈りが必要になる。行政だけでは保全活動はできないので、ボランティアグループが活躍することになる。農地を借りて地場野菜の栽培に取り組んでいるグループもある。万福寺人参の栽培がそうだ。公園や道路脇の花壇の整備は日本各地で行われているが、麻生区でもボランティアグループがやっている。小学校などでは自然と親しむ野外活動がごくふつうに行われている。麻生区は、他の地域に比べ、こうした活動が多いといえる。

 都市にしては自然が多く残されているから、それをしっかり守り、後世に伝えていこうという意識は高い。

 多くの団体の発表があったが、ことしはムクロジの紹介があった。ムクロジといっても知らない人が多いと思う。

 ムクロジの実は羽根つきの玉として利用して。あの黒い玉が実である。果皮は石鹸代わりとして使われていた。水に入れてかき回すと泡立つ。サポニンという成分が入っているとのことだ。落語に「茶の湯」という噺がある。茶葉の代わりにこのムクを使って泡立て飲むシーンがある。ああ、あれかと思い出す人もいるだろう。

 それにしても、多くの人が集まった。自然環境保護とか生物多様性とか持続可能な社会とか叫ばれているが、それらへの関心が高いということだろう。

   ま、それはそれはともかくとして、緑の多い遊歩道を歩くのは気持ちがいい。麻生区は平均寿命で男女とも日本一になった。里地里山に親しむ活動が活発なのは健康長寿と関連しているかもしれない。

2024年2月23日 (金)

「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

 ウディ・アレンは80過ぎても90近くになっても精力的に撮り続けている。出来不出来はともかくとして、歳を重ねるにつれ肩の力が抜けた軽妙な作風になっている。数年前に作った「女と男の観覧車」が気に入っている。ケイト・ウィンスレットの演技がすばらしかった。

 最新作は「サン・セバスチャンへ、ようこそ」。アートセンターで観てきた。不安定な夫婦関係がベースとなる、いかにもウディらしい作品に仕上がっている。

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 大学で映画を教えていたモート(ウォーレス・ショーン)は映画の広報をしている妻のスーとともにスペインのサン・セバスチャン映画祭にやってくる。スーは新進監督のフィリップに惹かれているようで、モートは気が気でない。心臓が痛いと病院に出かける。そこで診察を受けた魅力的な女医のジョーに心を奪われていく。なんとか仲良くしたいが、そう、うまくは行かない。 

 モートが見る夢はモノクロ。名画のパロディのような夢である。「81/2」「突然炎のごとく」「勝手にしやがれ」「男と女」「野いちご」・・・60年代あたりの名作である。私のような高齢の映画ファンなら、うきうきした気分になる。この夢のシーンだけでも観る価値がある。

 死神とチェスをするシーンがある。これは「第七の封印」。ここが笑える。死神は、野菜と果物をちゃんと食べ、適当な運動をせよと健康アドバイザーのような言葉を残し消えていく。笑いがこみあげてきたが、声を発するのは抑えた。

 とういうことで、高齢の映画ファンには堪えられない。時間をおいてまた観てみよう。DVDでもよい。

 それにしても、ニューヨークへのあこがれの気持ちがよく出ている映画である。ウディ・アレンが合衆国に立ち戻ればたちまち逮捕されてしまう。死ぬまでニューヨークに行くことはない。

 ついでのひとこと

 映像はなかったが、イナガキの「忠臣蔵」に言及するセリフがあった。イナガキとは稲垣浩監督。私は観ていない。ウディ・アレンは気に入っていたのだろう。

 

2024年2月21日 (水)

 お寺の掲示板

 お寺の山門脇に掲示板がある。箴言とか戒めとか格言とか、気の利いたことばが掲げられている。

 写真は、潮音寺の掲示板。散歩中に見つけた。袋づくしである。玉袋はない。

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 新聞の片隅に「お寺の掲示板大賞」という記事が載っていた。毎年、コンテストをやっているとのことだ。2023年の大賞は、東京の妙円寺(日蓮宗)が獲得した。

ことばだけ立派な者は敵である 釈尊

 わかりやすい。ことばだけよくても、行いがわるけりゃなんにもならない。むしろ敵だということだ。敵だと言い切るところが潔い。

 立派な訓示も実が伴わなければダメ。僧侶だって説法がうまくても言行不一致ならば失格である。

 だからこのことば、僧侶自らの戒めであるともいえる。

 大賞以外の受賞作も紹介しておく。

何が私を苦しめているのか。自分が握りしめている、その物差しです」  

 こっちのほうが深い。

2024年2月19日 (月)

「語る映画 奈々福・大福 浪曲二人会」

 映画を落語にして演じることはよくある。今回は浪曲で。玉川奈々福・玉川大福の二人会をアートセンター聴いてきた。二人は浪曲界の若手人気スターである。若手ではなくて中堅か。浪曲ブームを支えている。

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 今回の演目

 大福   男はつらいよ 寅次郎相合い傘 

 奈々福  平成狸合戦ポンポコ

 2時間近い映画を30分程度にぎゅっと縮める。どこをカットしてどうつなげるかという編集作業が出来の良しあしを決める。たくさんの登場人物を演じ分けなければならないからそれなりの技量もいる。聴き手の想像力(聴き手は映画を観ているとして)に依存するところはあるとしても、けっこう難しいし、また聴きどころでもある。

 寅さんシリーズは50作もある。「相合い傘」と聞いてもさて、どんなあ映画だったか思い出せない。リリー(浅丘ルリ子)がマドンナになる。しかし、リリーのものは何作かある。さて、どんなだったかと思うのだが、それはどうでもよい。聴き始めれば思い出す。メロンのアレだった。

 メロン騒動は寅さんシリーズの中でも屈指の名場面である。メロンの一切れをめぐって寅さんがいじける。渥美清のひがみと怒りの演技に誰もが大笑いした。この場面は何度観ても可笑しい。大福は、もちろん浪曲らしく大仰に演じた。

「平成狸合戦ポンポコ」は高畑勲監督作品。多摩丘陵の自然が都市化で失われていく姿を描いたアニメである。奈々福は笑いをとりながら絶叫調で演じた。ラストの盛り上げかたがすごかった。うまい切り取り(編集)だった。タヌキはわずかだがタヌキとして生き延び、化け方のうまいタヌキは人間に変身して生きている。

 奈々福はいつ聴いても声に張りがある。

 アフタートーク。

 大福の寅さんシリーズは15作あるのだそうだ。へーそんなにやっているのか。落語の立川志らくは、全作品を落語にしたとの話を聞いたことがある。それに追いつかなくてもよい。多いだけが能じゃない。全部やらなくてもいいから、厳選してブラッシュアップしたものをまた聴きたい。

 奈々福にはおなじ高畑監督の「かぐや姫の物語」をというリクエストが多いのだそうだ。あれはできないと語っている。あのスピード感とラストの映像はほかに置き換えるのは困難である。無理をしてやることもないと思う。 

 ついでのひとこと

 今回の曲師(三味線弾き)は若かった。曲師というと高齢者が多い。豊子師匠とか祐子師匠。今回は初々しいお嬢さん。合いの手もかわいい。三味線だけでなく、曲師の姿や掛け声も芸のうち。よかった。100歳を過ぎた祐子師匠も若々しいけど。

2024年2月17日 (土)

「鮟鱇男」

 冬は鍋である。我が家ではキムチ鍋が多かったが、今年は何度かアンコウ鍋になった。こっちの方がうまい。

 アンコウは肝である。肝がキモ。以前はそのまま鍋に入れていたが、肝を摺ってスープに溶かし込ませるようにした。スープが俄然うまくなる。調理するのは妻であって、わたしはいっさい手出しをしない。妻がその方がうまくなるとの情報を聞きつけてきたからである。わたしがエラソーに言うことではない。

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 宇野鴻一郎に「鮟鱇男と月」という短編がある。新潮文庫の『アルマジロの手』のなかにある。宇野鴻一郎と言えばポルノ小説家となっているが、その手の小説を書く前は、民俗的というか伝奇的な小説を書いていた。本書もそのひとつ。後年のエロスにつながるような短編集である。 

 主人公は早食いで大食漢である男。色黒の顔に異様に大きい口がついている。まさに鮟鱇である。その男が女子社員と関係をもつ。女と楽しんでいたが、やがて次第に絡みとられていく。会社の金は女に持ち出されているようだが、とりたててことあげはしない。アンコウはほとんど棄てるところがない。顎と背中の骨を残してほとんど食べ尽くされる。同じようにこの男も女にしゃぶり尽くされていく。男はそれを不幸だとも不運だとも思わない。

 堕ちていくのも快感なのだ。マゾヒズム。頽廃が至福なのだ。

 ということはともかくとして、アンコウの身を食い、骨をしゃぶる。そして肝を溶かし込んだスープも雑炊にして食べる。冬はアンコウがよい。

2024年2月15日 (木)

キルギスの野っ原 「父は憶えている」

  キルギスの名を知ったのは、学生のころ、エセーニンの詩によってである。その一節。

    きみらにはわがくにの光は 明るく映るか?  

    マンドリン弾きが淋病を酒で治療中  

    キルギスの野っ原でもらって来たというその淋病を

  キルギスは草原の国らしい。ソ連邦の一部だったが、連邦崩壊後、独立国となった。カスピ海沿岸、カザフスタンやウズベキスタンに隣接する小国である。

 そのキルギスを舞台にした「父は憶えている」をアートセンターで観てきた。

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 ロシアに出稼ぎに行って音信不通だった老人が23年ぶりに村に帰ってくる。事故で記憶と声を失っていた。昔の写真を見せても記憶はよみがえらない。息子や家族はその姿に戸惑うが、さらに問題があった。男の嫁さんは再婚して家を出ていたのだ。家族だけでなく元妻も動揺する。

 映画はそのあたりの人間模様を詳しくは映し出さない。ムスリムの布教活動や村の変化を淡々と描いている。鉄道も敷かれ貨物列車が走っている。高速道路と思われる道路も整備されている。村ではあるが、都市化の現象も見られる。ゴミ、とりわけ粗大ゴミが散乱している。

 老人は黙々とゴミを片づける。元妻は動揺を隠せないでいる。再婚した相手は金持ちらしい。レクサスに載っている。

 ドラマチックには描かない。結末というか今後どう展開するかも明らかには示さない。わずかなヒントはあるとしても。

 ま、それでよい。ムスリム社会での女の意志といったものの芽生えがうっすらと感じられる。

 

 

2024年2月13日 (火)

菜の花忌シンポジウム

菜の花忌」のイベントに行ってきた。場所は文京区のシビックホール。

 今回で27回になるという。今年初めて参加した。昨年は抽選ではずれた。ことしのシンポジウムのテーマは『街道をゆく』。 

 このシリーズは43冊になるのだそうだ。そんなに出ていたのかと驚く。「週刊朝日」に連載中にいくつかは読んだ、あとは数冊しか読んでいない。

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  今回のパネリストは、今村翔吾岸本葉子磯田道史。そして司会は古屋和雄。みな、全部か、だいたい読んでいるようで、今村さんは、中学生のころ全部読んだんだそうだ。すごい。

 司馬遼太郎は、当然のことながら予備知識を詰め込んでから目的地に行った。現地を歩くとその予備知識が崩れていく、それが愉しいと語っていたという。なるほどと思う。現地でなければ味わえない空気がある。

 司馬遼太郎は周辺部を歩いた。たとえば琵琶湖の周辺とかスペインのバスク地方とか。そのあたりに司馬遼太郎の文化観があると。いったことが話し合われた。

深く広い内容だったが、簡潔に紹介するのは難しい。この様子は4月にNHKで放送される(たぶんEテレ)、それをご覧いただきたい。

 菜の花がステージいっぱいに飾られていた。なんとなく葬式のようでもあるが、ま、追悼忌だからそれでよい。

 司会の古屋さんは元NHKのアナウンサー。今回、著作の一部を朗読した。これがよかった。一級の朗読。さすがである。

2024年2月11日 (日)

「カラーパープル」

 スピルバーク監督の「カラーパプール」を観たのは30年以上も前のこと。いい映画だったという印象は残っているが、さて、内容となるとほとんど覚えていない。

 それがブロードウェイのミュージカルとなり、さらに映画化された。ミュージカル映画である。

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20世紀初めの黒人社会の話である。母親を亡くしたセリーは、父親に理不尽なほど厳しく育てられた。父親の決めた男と結婚させられ不自由な生活を強いられていた。さらに仲がよかった妹とも引き裂かされてしまうことになる。妹の行方はわからなくなったが、実は、父親は妹からの手紙を握りつぶしていたのだった。

 黒人しか登場しない。だから人種差別といった話題は出てこない。そのかわり男女格差である。男尊女卑社会が描かれる。セリーは自立した女性たちと出会うことで、しっかりした生き方を身につけていく。

 というストーリーなのだが、みどころは格差社会といったことではない。歌である。ミュージカルだものね。歌って踊る。ゴスペル、ブルースが大音響で流れる。こういう映画、いいなあと思う。

 DVDや配信では楽しさが半減する。音の響きのよい映画館じゃなくてはダメだ。

 ミュージカル版の「ウエスト・サイド・ストーリー」は二度観た。気分が向いたら、この「カラーパープル」ももう一度観てみよう。

2024年2月 9日 (金)

「PERFECT DAYS」

 役所広司がカンヌ映画祭で男優賞を受賞した「パーフェクト ディズ」をアートセンターで観てきた。監督はヴィム・ヴェンダース。舞台は東京、出演者も日本人。セリフも日本語。ふつうの日本映画である。

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 平山(役所広司)は澁谷の公衆トイレの清掃員。平山の日常が描かれる。仕事はきちんとこなしているが、寡黙で友人はいない。仕事が終われば銭湯に行って浅草の居酒屋で一杯。夜寝る前には古本屋で買った文庫本を読む。幸田文とかパトリシア・ハイスミスとか。

 平山は時代遅れの男である。音楽はカセットテープで聴く。オーティス・レディングとかアニマルズ。たまに行くケスナックではママ(石川さゆり)が「朝日のあたる家」を日本語で歌う。胸のポケットに入れているカメラはフィルムカメラ。昼に公園の木洩れびを撮る。

 昭和である。時代遅れだけど、それが居心地よい。河島英五の「時代おくれ」の歌詞を思い出す。目立たぬように はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず・・・。

 平山にとって、パーフェクトディズとは、居心地のよい日々ということか。波乱もある。同僚の若者に振り回されたり、家出してきた姪の面倒をみたり。それもさざ波程度のことでルーティンを崩すことはない。

 本好きにとっては平山の読書傾向に興味がいく。幸田文の「木」、フォークナーの短編集、本の題名はわからなかったがパトリシア・ハイスミス。ハイスミスには「アメリカの友人」などの作品がある。「太陽がいっぱい」の原作は彼女だ。いずれにせよ、渋い。

 ヴェンダース監督は、穏やかな日々のなかに人生の歓びも小さな悲しみがあることを描いている。それが平穏なパーフェクトな日々なのだ。

 役所広司のほほえみが印象に残る。いい映画だ。お勧め。

 もうひとこと。ヴェンダース監督は小津安二郎を敬愛していることはよく知られている。平山という名は「東京物語」で笠智衆が演じた主人公の名前と同じである。

2024年2月 7日 (水)

 忌憚のない意見

 一昨日の午後から雪になった。久しぶりに雪道を歩いた。

 老人のように、小股でゆっくり歩いた。たっぷり老人なのだが。

 傘に雪が積もった。

  雪の句が浮かんだ。自作ではなく其角の有名な句。

  わが雪と思へば軽し笠の上

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 話はかわって、昔のことを思い出した。

 社内会議の折、忌憚のない意見をお願いしますとの司会者からあいさつがあった。

 それほど鋭くはないけれど批判の意見を述べた。あとで、あれは言い過ぎだよと先輩から言われた。20代のころだ。

 「忌憚のない意見を言えといわれたので・・・」と答えたら、アハハはと笑われた。

  忌憚のない意見をと言われてもなんでも言ってというわけじゃない、忌憚のないとはタテマエ、儀礼のことばにすぎない。そんなことはわかっている。ならば使うよなと言いたかった。

  以後、しばしば忌憚のない、を聞く。ああ、本当のことを言うなよ、遠慮せよ、ということばと理解するようにしている。それにしても空疎な表現だ。

  悪いようにはしないとひとを説得することがある。

悪いようにしないと言って、良いようにしたためしはない。

 

2024年2月 5日 (月)

「きっと、それは愛じゃない」

 イギリス映画である。でも、登場する人の多くはパキスタン人、舞台も半分以上はパキスタン。

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 ドキュメンタリー監督のゾーイは知り合いのパキスタン移民のカズが見合い結婚をすると聞く。いまどき、親が決めた相手と結婚するとはどういうことか、パキスタン式の見合い結婚に興味を抱いたゾーイはそれを映画化しようとし、パキスタンに向かう。

 パキスタンの多くはムスリムである。インドとは違う。でも、結婚式や前夜祭はポリウッド映画のようである。我々にはインドもパキスタンも区別できない。ま、それはともかくとして、カズの結婚相手の女性には密かに愛し合う男がいた。それを隠しての結婚であった。

 ドタバタありのラブコメディである。メグ・ライアンが主演した何年も前の映画を思い出す。麻生さん風に言うと、おばさんが喜びそうな映画である。けなしているのではない。最近の若者の恋愛ものはそれほどおもしろくない。理解不能な点もある。中高年はこの程度のものがよい。

 登場人物が多くてややこしいけど、結末がこうなるだろうとの予測は裏切られることはない。安心して観ることができる。

 それにしても寒い。昼になっても気温は上がらない。雪になるということだが、どんよりしたまま。

2024年2月 3日 (土)

黄斑変性 その後

 きのうはひどく冷えた。きょうはそれほどでもないけれど、ここ数日がこの冬いちばんの寒さかもしれない。厚手のダウンで外出したが指先がとくに冷える。久しぶりに使い捨てカイロをポケットに入れた。

 週明けは大雪になるとの予報が出ている。

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 黄斑変性の硝子体手術をしてから4ヶ月たった。

 歪みは8割がた改善した。2割は歪みが残っているが、まずまずと言える。ただ、視力はよくならない。手術前よりぼやけるように感じる。

 術後の検診で医師にそれを伝えると、回復は難しいかもしれないけど、注射という手段があることはあるが・・・との診断だった。網膜の黄斑部分にステロイド注射する。それで治る可能性は少ないかもしれないけど、やってみますか? と下駄を預けられた。頼りない見解だが、やってみることにした。

 黒目に針を突き刺してステロイドの注入。短時間で終わる。ただ問題は、副作用であることだ。眼圧が上がることがある。緑内障の治療を続けている身としては避けたいリスクだが、致し方ない。

 二日後の診断で、案の定、眼圧は16にあがった(点眼のおかげで眼圧は安定していて術前は10前後だった。手術をしない左目は10か11)。ちょっと高くなった。一時的なものだろう。二週間後には13まで下がった。

 視力は、一週間ぐらいして、薄皮一枚ぐらいはがれたような気がしてきた。視力にすると0.1ぐらい回復した感じか。このままよくなればよいが、逆に、ステロイド効果が消えてしまうかもしれない。

 残った左目(視野はかなり欠けているが)のおかげで新聞ぐらいは読める。細かい字のものは避けて文庫本も読んでいる。

 さしあたって、眼の状態は、座頭市のようにお先真っ暗ではない。

 

2024年2月 1日 (木)

「哀れなるものたち」

 米アカデミー作品賞の候補となっている「哀れなるものたち」をイオンシネマで観てきた。

 奇怪な映画だ。一人の女性の冒険物語かと思っていたが違っていた。

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 19世紀のロンドン。著名な外科医バクスターは、命を絶った女性(脳死状態)から胎児を取り出して脳に移植する。生き返ったベラ(エマ・ストーン)は成長するが、まともではない。歩き方がぎこちないのはともかくとして、食欲は旺盛、マナーも常識はずれ。バクスターは弟子のマックスと婚約させるが、奔放なべラは弁護士のデカダンと出奔してしまう。二人はリスボンで快楽をむさぼるが、ベラは他の男とも遊ぶ。ダンカンはベラを軟禁して豪華客船で旅に出る。

 ダンカンは船中のカジノで大勝ちをするが、ベラは貧しい子供たちにその金をやってしまう。一文無しになってしまうのだが、ベラは動揺することはない。パリに行って娼館で働く。性欲を満たし金も稼いで、ロンドンに戻る。

 といった物語だが、ベラが平気な顔でやり過ごすからそれほど波乱な人生とは思えない。さらに身に着けているものは貴婦人風、部屋も豪華な作りだから切実感はない。映像もおとぎ話のように美しい。そう、この映画はCGを駆使したファンタジーなのだ。とはいえ、グロテスクな場面もあるし、下品な会話もある。まともじゃないベラは周りを翻弄する。 

外科医のバクスターにはフランケンシュタインのような切り傷(手術の痕か)ある。ベラ自身の立場もフランケンシュタインのようでもあり、さらにピノキオでもあり、ピグマリオン(マイフェアレディーのイライザの原型)でもある。

 男たちは思うようにコントロールできない。ベラは抑圧をはねのけて自らの意志で生きていく、といった趣旨の映画か。そう思えば、愉快なウーマンリブとも映る。

 

2024年1月30日 (火)

 数独の作り方

 新聞や雑誌のパズルの多くが「数独」になっている。コーヒーショップでも誰かしらが数独に取り組んでいる。かつてはクロスワードパズルが主流だったが、いまや数独の時代となっている。

 いっとき数独に夢中になったことがある。暇つぶしには格好だ。しばらく続けていたが、止めてしまった。そんな時間があるなら本を読んでいた方がよいと気づいた。

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 でも、パズルとしてはよくできている。すべて数字が埋まった状態の完成図は美しい。タテヨコ1から9までの数字がひとつずつばらばらに並び、九つのボックスも1から9の数字で埋まっている。ビューティフルだ。

 こういう数列があるのが不思議だし、それがいくつもある。いったいどのくらいの組み合わせがあるのだろうか。数学の得意の人ならたちまち計算してしまうのだろうが、アタシにはムリ。コンピュータならただちに正解にたどりつくにちがいない。

 もうひとつ、数独はどうやってつくっているのだろうか。完成図からひとつずつ数字を抜き、確かめながらつくっているはずだが、それではかなり時間がかかってしまう。制作元の「ニコリ」は、コンピュータを駆使して短時間で作っているのだと推測する。

 ネットで調べてみると「数独の作り方」が載っている。なるほど論理的な作り方をしているんだとわかる。

 完成図に戻ると、数列を入れ替えても完成形ができる。たとえばヨコ1列目と2列目を逆にしても完成図は崩れない。3列目と入れ替えても同じである。

 なるほどと感心する。利用者、夢中で解いている人は、作り手のことを考える暇はない。解けないといらだつ程度で、作り手のことを考えることはない。

 ずっと前、クロスワードパズルに夢中になったことがある。しかも英語のクロスワードだ。初級レベルのものだが、日本語のものよりおもしろかった。それによって、ボキャブラリーが増えるかと言えば、そんなことはなかった。脳トレにもならない。ま、暇つぶしだった。

 

2024年1月28日 (日)

『鬼の筆』

 日本を代表する映画脚本家と言えば、橋本忍と笠原和夫の二人を挙げたい。人によって好みはあろうが、五人を挙げろといえば二人は間違いなく入る。

『鬼の筆』はその橋本忍の評伝(春日太一がインタビューをまとめたもの)である。サブタイトルは「戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」となっている。

「羅生門」「生きる」「七人の侍」と並べただけで、すごい脚本家なんだとわかる。

 橋本忍には『複眼の映像』という自叙伝がある。これを読んだのは20年近く前のことだ。おもしろかった。主要なところは何度も読み返した。

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 黒澤明監督の三作品は、小國英雄、黒澤明、橋本忍で書いている。それぞれの役割があった。黒澤と橋本がまず書く。小國はじっとしているだけ。できあがった原稿を小國が読み、疑問点をあげたり、いくつか指摘する。小國がダメ出しをすればただちに原稿を破り捨て、黒澤と橋本が書き直す。そんな関係だった。

 のちに、三人にだれがどこまで書いたかを問うと、それぞれ違う答えが返ってくる。記憶にズレがある。真相はわからない。「羅生門」の原作である芥川の「藪の中」と重なる。藪の中なのだ。このあたりは興味をそそる。 

 橋本忍はのちにプロダクションをつくる。「砂の器」「八甲田山」などを製作する。

 橋本作品で印象に残るのは回想シーンである。この回想がうまい。「生きる」では最初の方に通夜のシーンがある。ここで主人公の人となりや行動を明らかにしている。映画の全体像がわかってしまうのだが、観客を引きつけるうまい方法である。著者(春日)は回想シーンを入れることで、観る人を説得してしまう橋本の豪腕さを評価している。

砂の器」では、音楽会と父と子の旅と捜査会議を重ねて映し出す場面がある。主題歌「宿命」が流れる。コンサート、刑事たちの動き、父と子のシーンを重ねて映像にしている。ここが感動的なのだ。日本映画の中でもとりわけ傑出したシーンといえる。この部分を競輪のラスト一周、まくりだと、競輪狂でもある橋本は語っている。競輪ファンならよくわかる。

このシーンは「仁義なき戦い 頂上作戦」のラストに匹敵する。印象に残る。

 挫折についてもふれておかねばならない。「幻の湖」がずっこけたことだ。三時間の大作だが、内容がよくわからない。平坦で退屈。歴史的な不入りとなった。大いなる挫折であった。しかし、その後も、脚本を映画化している。

と、ここまで、書いたところで次の予定を思い出した。書き足したいことがあるが、やめておく。

 ついでのひとこと

 紙切りの林家正楽さんが亡くなった。紙切りといえばこの人だった。76歳。アタシよりずっと上かと思っていたら同い歳だった。

 正楽の名跡を継ぐのは林家二楽だろう。そんなに先ではない。

2024年1月26日 (金)

「ゴールデンカムイ」

 日本海側は大雪になった。関東南部は雪は降っていないけどひどく寒い。重ね着をし、カイロをポケットに入れて外出している。

 そんな折り、給湯設備がおかしくなった、床暖房が効かない。風呂も沸かせない。クゾッ! と叫びたいけど、震災に遭った人を思えばそれほどのことではない。

 北海道はどうか、などと思いながら「ゴールデンカムイ」を観てきた。原作はコミックということだが、もちろん読んではいない。アイヌを扱っているとのことで観ることにした。

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 二百三高地の激戦の場面から始まる。杉元(山崎賢人)は超人的活躍をして「不死身の杉元」と呼ばれるようになる。除隊後、杉元は北海道に渡って砂金採りをする。そこでアイヌから奪ったという金塊の話を聞く。強奪した犯人は網走刑務所にいて、隠した金塊の在処がわかる暗号を囚人たちの背中に彫って彼らを脱獄させたという。秋元はさっそく金塊探しを始める。途中でアイヌの少女アシリバ(山田杏奈)と出会い、一緒に脱獄犯が結集するという小樽に向かう。といったストーリー。

 金塊をねらう陸軍の中尉(玉木宏)が登場する。金塊を軍資金にして軍事政権樹立をたくらんでいる。これにからむのが土方歳三など箱館戦争を戦った連中。コミックだから荒唐無稽なのは承知、別に驚くほどのことではない。奇っ怪なのは杉元の敵役となる中尉である。頭蓋骨から脳汁が涙のように流れる異形で、杉元の前に立ちふさがる。

 アイヌの生活も背景に描かれる。カワウソ料理が出てくる。リスも食べる。逆に、アシリバは味噌をウンコだと嫌う。

 原作はさらに続いているとのこと。映画もシリーズ化されると思われるがわからない。ここまででも娯楽作として十分楽しめる。

 で、給湯器であるが、メンテナンス会社の人に来てもらった。面倒な個所の修理だったようだが、無事もとに戻った。今夜は安心して眠れる。

 

2024年1月24日 (水)

シネマ歌舞伎「唐茄子屋」

 銀座で飲み会があった。それまでに時間がある。銀座なら東劇に近い。シネマ歌舞伎を観ることにした。演目は「唐茄子屋」。落語ではおなじみの人情噺である。宮藤官九郎が脚色している。演出も。

 クドカンだからちょっと悲しい人情劇も滑稽な舞台となる。「不思議国之若旦那」というサブタイトルがついているようにファンタジーでもある。出演は、中村勘九郎七之助獅童など。荒川良々も出ている。

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 放蕩の末の勘当。吾妻橋から身投げをしようとする若旦那の徳。これを助けた叔父から唐茄子(カボチャ)の棒手振りをやるよう命じられる。荷売りなどできない若旦那だが、なんとか助けられ、かぼちゃ二つ残して売れる。とある貧乏長屋で弁当を広げるのだが、腹をへらした子供に弁当を与え、さらに母親に売り上げの金を渡してしまう。それを見つけた大家が溜めた家賃の代金だと財布を取り上げてしまう。悲嘆した母親は首をくくるのだが・・・。落語だと悲惨なストーリーとなるパターンもある(たとえば談志は人情と悲劇をミックスさせている)のだが、ここはクドカン、ユーモアあふれる喜劇仕立ての結末にしている。最後は、これまたおなじみの「大工調べ」に展開を変えている。

 「大工調べ」では早口でまくし立てるシーンがある。聴きどころである。ここをデュエットでやる。落語通には嬉しい筋立て。わかりやすい歌舞伎となっている。

 それにしても自由奔放である。どこまでが脚本どおりか、それともアドリブなのかわからない。亡くなった勘三郎はアドリブをふんだんに入れていたが、勘九郎や獅童もおなじようにアドリブ全開。客席とのやりとりも笑える。

 落語では「待ってました!」というかけ声が入ることがある。今回の舞台、「それほど、待たしてねえよ」と返すシーンがある。笑える。

2024年1月22日 (月)

どんど焼き 象潟

 川崎市麻生区では、17ヶ所でどんど焼きが行われた。地域情報紙に、実施場所と日時の一覧が載っていたから17ヶ所と分かった。この数、一地域では多いのではないか。

麻生区は平均寿命が男女とも日本一になった。どんど焼きと関連があるかどうかわからないが、どんど焼きができる場所があるってことと多少関連があるのかもしれない。これだけやると、消防団も忙しい。

 写真は、岡上の和光大学前の田圃でのもの。タイミングがよければ小田急線の電車からも見える。

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 話はかわって、能登の大地震。海岸線が4メートルほど隆起した個所がある。堤防が浮き上がっている。すごいエネルギーで盛り上がったことがわかる。

 隆起で思い出すのは秋田の象潟である。象潟は芭蕉の「奥の細道」に登場する。「象潟や雨に西施がねぶの花」と芭蕉は詠んだ。当時は、入り江にいくつもの小島が浮かぶ松島のような景勝地だった。後の大地震で2メートルほど隆起し、さらに土砂が流れ込んで現在の姿となった。

 何年か前、ここを訪れたことがある。芭蕉時代の面影はない。かつて入り江だったところは原っぱとなり。小島だったところは小高くなっているだけ。風光明媚とはいかない。

 船着き場だったところはそのまま残されており、芭蕉の句碑が建っている。

 能登の港はどうなるか。元に戻すことはできない。隆起した後の現在の地形で船着き場や堤防をつくるしかない。早い復旧と大きな余震がないことを祈るだけだ。

 

2024年1月20日 (土)

 文珍独演会

 桂文珍の独演会に行ってきた。二年ぶり。昨年はチケットを買っていたのだが、それを忘れて桂雀々のチケットを買ってしまった。どちらに行くか。妻に事情を話すと、文珍を聴きたいと言う。で、妻に文珍をやり、わたしは雀々を聴くことになった。その夜、妻に感想を訊くと、すごくおもしろかったとのこと。ふーん、やっぱりそうか。

 で、二年ぶりとなった。

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  今回の演目

 老婆の休日

 落語記念日

 星野屋

老婆の休日」は文珍お馴染みの噺。得意ネタである。初演から45年になるという。なんど聴いてもおもしろい。

  ギャグの一つを紹介しておくと・・・、 ある老婆。からだのどこを押しても痛い。肩を押しても腹を押しても痛い。ひとの肩を押しても痛い。この歳になり、ひとの痛みがわかるようになった。もうダメかと、病院に行くと、指の骨が折れているとの診断だった。

落語記念日」は新作。昨年の12月につくったばかりという。未来の話である。VRなどAIの技術が進んで落語が絶滅してしまった。落語を知らない世代に、扇子や手ぬぐいの使い方を説明するのだが、トンチンカンな展開となってしまう。これも笑わせるが、まだ発展途上にあるストーリーだとも言える。

星野屋」は古典噺。旦那がお妾さんに別れ話を持ち出す。これが心中しようということになるのだが、そこは海千山千の二人。ばかし合いとなる。

 いつ聴いても文珍はおもしろい。笑わせるツボを心得ている。それだけではない。サービス精神にあふれているというか、観客を大切にしている。さすが、大看板である。

 

2024年1月18日 (木)

「TILL ティル」

 アートセンターで「TILL」を観てきた。黒人差別を扱った映画。ナチスを扱った映画もそうだが、たくさんあると類型的になりやすいテーマとも言える。

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 1955年、ミシシッピ州マネーで起きた「エメット・ティル殺害事件」は有名らしいが、わたしは知らなかった。

 シカゴに住む14歳のエメット(愛称ボボ)はミシシッピ州の叔父の所にひとりで遊びにいくことになる。母親のメイミーは、人種差別の激しいところだから十分注意するよう言い聞かせて送り出す。

 エメットは食料品店で白人店員に口笛を吹いた。軽い気持ちであったが、これを知った白人の男二人はエメットを拉致し、暴行を加え殺してしまう。そして遺体を川に投げ捨てる。

 メイシーは嘆き悲しむが、敢然として事件に立ち向かう。葬儀で棺を開いて暴行された遺体をさらし、事件のむごさを世間に訴える。

 以上が前半。後半は捕まった二人の容疑者の裁判となる。犯行は明白のように思われたが、弁護人は、遺体がエメットかどうか疑わしい、女店員にニセの証言までさせて反証して裁判をコントロールしようとする。

 裁判結果はここでは書かない。

 メイシーを演じるダニエル・デッドワイラーの演技がすばらしい。子を思う気持ちが痛いように伝わってくる。

 黒人差別に地域差があったことは頭では知っていたが、あらためてこれほどかと知らされた。

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