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「違国日記」

  さして話題にはなっていないし、私には似つかわしくない映画を観てきた。「違国日記」。ヤマシタトモコの漫画が原作。脚本・監督は瀬田なつき。主演は叔母と姪の関係にある新垣結衣早瀬憩。登場人物のほとんどが女性である。爺さんが観るような映画ではないけれど、なんとなく観ておきたかった。

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イオンシネマの客は少なかった。10人に満たない。すぐに打ち切りになる。

 中学卒業を間近にした朝(早瀬)は交通事故で親を失う。一人っ子である。母の妹である小説家の槙生(新垣)は朝を引き取って暮らすことになる。槙生は姉が許せないほど大嫌いだったが、その気持ちは抑えてぎこちない二人暮らしを始める。朝はさほど気にする様子もなく(内心は戸惑う気持ちが伺える)家事をする。高校では軽音楽部に入ってベースの練習に励む。

 早瀬憩の演技が印象に残る。他人とはうまくやっていけないと自覚する叔母のマキオちゃんと朝は自然体でふるまう。クラスメイトともふつうに付き合う。そんな姿が初々しい。体育館で、同性しか好きになれないかもしれないと打ち明ける友人にとまどう。このシーンもよい。

 槙生の友人役で夏帆がでている。「天然コケッコー」を思い出した。夏帆のデビュー作である。あの初々しさと早瀬憩の姿は似ている。今年の新人賞は早瀬憩で決まりだな。

 ということであるが、女子高校生にこの映画をどう思うかを聞いてみたくなる。しんゆり映画祭のボランティアに20歳前後の女性が何人かいる。この映画の感想を聞いてみよう。観ていなければ、これは観なくっちゃと伝えてみよう。

2024年6月15日 (土)

「バディモン5 望まれざる者」

 パリといえば、セーヌ河沿いの観光名所あたりの映像しかテレビでは流されない。ずっとむかしと変わらない。ずいぶん前のことだが、パリに行ったとき、高層ビル群を見かけた。新宿副都心のよう。ビジネス街だろう。現在は、さらにビル群は増えていることと思う。

  居住地はどうか。団地もたくさん建設されてきたと思うが、その姿をみることは少ない。映画でたまに見るぐらいか。数年前、「ガガーリン」という旧ソ連の宇宙飛行士の名を冠した映画があった。当今では考えられないが、当時、建設された団地エリアがガガーリン通りと命名された。その団地が老朽化により取り壊しになるといった映画だった。

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  アートセンターで「バディモン5 望まれざる者」を観た。「ガガーリン」同様、パリ郊外の老朽化した団地を描いたものだ。

 バディモン地域には低収入の労働者や移民が多く住んでいる。老朽化した団地ビルの取り壊しが進められていた。エレベーターは修理されず、棺を運び出すにも難渋する始末だった。

  映画は、冒頭、団地ビルが爆破されるシーンが映し出される。手違いがあったのか、爆風を受けた市長は命を落としてしまう。市長を代行することになった小児科医のピエールは、温厚そうに見えたが、この地域の再開発と治安維持に強硬策を打ち出す。周りは戸惑うが、貧困移民には不寛容な策を強行しようとする。

  一方、団地でケアスタッフとして働くアビー(移民女性)は、行政の怠慢さと欺瞞に批判を強めていた。あらたな団地ビルも設計変更されてしまっている。アビーは市長選に立候補することを決意する。

  団地に火災がおきれば、行政は居住不適切とか危険だからと言って、住民を強制的に立ち退きさせる。追い出されれば、居住者はホームレスになるしかない。理不尽な仕打ちである。

といったことで、暴動が起きる。そして・・・といったストーリーである。

2024年6月14日 (金)

老聴の始まり

 耳がわるくなった。

  耳が遠くなったわけではなく、感度が鈍くなった。

  よくある例だと、ガザ地区が足立区に聞こえるような感度である。

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  北朝鮮がフンだのごみを積んだ風船を南に向けて飛ばした。対抗措置として韓国は拡声器による北への宣伝活動を再開させた。ぼんやりテレビを見ていたら、核兵器を配備したと聞こえた。驚いて、思わず腰をあげた。聞き違いだった。拡声器と核兵器、漢字で書くとまったく別ものだが、カナで書くとカクセイキとカクヘイキ、一字しか違わない。似ている。

 聴覚が若々しく敏感だったら、聞き違えることはない。歳だ、加齢だ。これも老聴というか難聴の始まり。

 ウサギとウナギを聞き違えたこともある。うさぎパイとうなぎパイ。

 ラジオを聴いていたら、仙台のだれだれと出てきた。しばらくして先代のだれだれだと分かった。仙台と先代は、カナは同じだが、アクセントが違う。それを平板に発音されたり、アクセント違いをされたりすると、こちらは聞き違いをしてしまう。これは老聴とは関係ないけど。

2024年6月12日 (水)

「明日を綴る写真館」

 とぼけた脇役としておなじみの平泉成が80歳にして初めて映画で主演することになった。その「明日を綴る映画館」をイオンシネマで観てきた。

 成さんは長く麻生区にお住まいである。わたしはかつて読売ランド前駅に住んでいた。同じマンションだった。声を交わすことはなかったが、ときおりお見かけした。

 春先、80歳をすぎた小野武彦が初主演する「シェアの法則」を観た。小野さんも麻生区在住である。似ている。

 麻生区は平均年齢日本一の街である。それとは関係ないけれど、なんとなく結びつけたくなる。麻生は老人が元気な街である。

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 さて、映画。新進気鋭のカメラマン太一(佐野晶哉)はなんとなく行き詰まりを感じていた。そんな折、ある写真館の店先に掲示されていたポートレートに目を止める。店の中を覗き、店主・鮫島(平泉成)の丁寧な対応やカメラに対する愛情に心惹かれ、弟子入りを志願する。いったんは断るが、結局、住み込みで店を手伝うことになる。

 カメラワークがよい。逆光を多用したカメラアングルは新鮮で柔らかい。鮫島の写真にかける情熱を感じ、写真のもつ力にあらためて目覚めていく。

 といったストーリーで、あたたかく大変けっこうなのだが、ちょっと甘い。エンディングまで優しくてわかりやすい。ちかごろ珍しい結末である。わたしがそういう映画を観ていないのかもしれない。子供向きのケーキのように甘い。

 甘くて悪いか。それがどうしたという声も聞こえてくる。

 ついでのひとこと

 イオンシネマのロビーに先だって観た「悪は存在しない」のポスターが掲示されていた。えっ、新百合ヶ丘でもやるんかい。渋谷までわざわざ行くこともなかった。「明日を綴る映画館」とは真反対のわかりにくい映画である。わかんなくても、観たい人が多いということか。リピーターが多いんだろうな。

2024年6月10日 (月)

「ありふれた教室」

 アートセンターで「ありふれた教室」を観てきた。タイトルからすると、どこにでもある普通の学校で起きた事件を描いたものと想像したのだが・・・

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 ドイツのある都市の中学。新任のカーラ(レオニー・ベネシュ)は数学を教えている。学校では盗難事件が何度も起きる。カーラは財布の入った上着を置いたままで教室に向かう。財布が盗まれるのではないかとパソコンのカメラ機能を作動させておいた。職員室に戻り、財布を確かめるとお札が抜かれていた。画像を確認すると女性のブラウスが映っていた。学校の事務員だった。カーラが受けもつクラスの生徒の母親でもあった。事務員を呼び、盗ったのではないかと事情を問う。事務員は盗んでいないと、逆切れしてしまう。

 カーラは校長に事情を説明する。校長は事件にはしないが会議を開く。教師仲間の見解はさまざまだった。カーラのやりかたはおとり捜査だと非難する教師もいた。このいきさつは保護者に漏れ、生徒も事情を知ることになった。カーラへの批判、生徒へのいじめ、学校批判など事態は紛糾することとなった。カーラはボタンを掛け違えてしまったのかと悩み、混乱する。学校全体がパニック状態となっていく。どうなるのか。

 カーラはポーランド出身、件の事務員はトルコ系(だったと思う)。フランスもイギリスもそうだろうが。ドイツが移民社会になりつつあることも映し出している。先だって観た「ミセス・カーラ VS. ジョージ・W・ブッシュ」もトルコ系の移民の話だった。

 ラストはわかりにくい。この映画も判断を観客に委ねるということか。少年がカーラが貸し与えたルービックキューブを完成させるシーンが映し出される。少年と心が通じ合ったとも考えられる。事態は収まることを予感させる。

 主演のレオニー・ベネシュは「白いリボン」に出ていたという。10年以上前の映画。不朽の名作と言ってよい。あの少年少女たちの一人を演じていたのか。「白いリボン」も村全体が疑心暗鬼に包まれ、集団パニックというか統合失調症に陥っていく映画だった。ちょっとだが、つながっている。

2024年6月 8日 (土)

「悪は存在しない」

 濱口竜介監督の「悪は存在しない」を渋谷まで出かけて観てきた。

 封切りしてひと月ほどたつが、新百合ヶ丘での上映はなさそう。濱口監督作品はぜひ観ておきたい。

 渋谷のル・シネマ。ル・シネマは東急本店(Bunkamura)の解体にともないしばらく休館となっていたが、宮下公園近くのビルで再開した。かつては東映の上映館。場所はよいビックカメラの。ビックカメラの上。むかしの記憶は薄いけど、古びた劇場だった。それが、きれいに改装された。ミニシアターらしい雰囲気となっている。

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 映画のあらすじ。自然豊かな高原の村にグランピング施設の計画が持ち上がった。グランピングというのはキャンプができる宿泊施設。この映画でその名をはじめて知った。

 グランピング計画はある芸能事務所が政府の補助金を当て込んでのものだった。住民への説明会が開催されるが、事務所側の説明はあいまいで、住民の多くは疑心暗鬼を深める。村の水源に汚水が流れる懸念があるとか、キャンプ場の騒音、防火対策などの課題があった。事務所側は準備不足を認め、再び説明会を開くことでその場を収めた。

 芸能事務所で新規事業(グランピング)を担当することになった高橋はとまどい、計画を勧めたいと思う一方で、住民の感情も理解するようになった。

 村の便利屋である中年の巧は娘とともに暮らしていた。冷静な男で集落の取りまとめ役でもあった。匠のまき割りのシーンが映し出される。のちに高橋はまき割りの快感を味わうことになる。

 会社に戻った高橋は社長から、巧にグランピング場の管理人になってもらったらどうか、それでうまくいくのではなかとの助言を得る。ふたたび高橋は同僚の女性と二人で村に向かう。

 ここまでが前半。後半というか結末はちょっとややこしい。

 ある事件というか事故が発生する。これ以上書くとネタバレになるが、最後まで明らかにしたところで文句は言われないかもしれない。エンディングは観客を惑わせる。えぅ、なに! で、どうしたの? というところで終わる。そこからは観客に委ねる。どう解釈してもよいようになっている。監督、ずるいよと言う人もいるかもしれない。世の中、不可解なんですねと感じる人がいるかもしれない。自然との共存は、とか知ったかぶりの評をする人もいるだろう。

 まずは観ていただきたい。鹿にも触れなければならないが、わたしの理解を超えるのでやめておく。リドル・ストーリーである。

 で、わたしなりの決着。次のようなエンディングにしたらどうか。巧と娘の二人が車に乗って、楽しそうにおしゃべりをするシーン。その後のことかもしれないし、過去の映像、つまり回想かもしれない。車は高原の道を駆け抜けていく。

 どうだ。いいだろう。観た人に訊いてみたい。

 

2024年6月 6日 (木)

生田寄席 古今亭寿輔

 生田寄席に行ってきた。今回は古今亭寿輔。あのラメ入りの派手な衣装の師匠である。

 今回も明るい鶯色の着物で高座に上がる。しゃべらないうちに、くすくす笑いが起きる。

 いつものように自虐ネタ。私のようなどうでもいいような噺家を聴きに来ていただいて・・・そんなに笑わないでください。お嬢さん。まだ何もしゃべってません。と、客いじりが始まる。

 きょうのマクラは長い。と思っていたら、まだ何をやろうか、浮かんできませんので、どうでもいい話をつづけさせていただきます、との言い訳。

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 途中で、テトロンの羽織を脱いで、女性客に着てみませんかと渡す。テトロンのいいところは夏暑くて冬寒い。撮っていいですよ、というのが、この写真である。

 途中、小噺のような短い噺「英会話」を挟んで、またマクラに戻る。刑務所を慰問したときのエピソードや女性落語家の話。結局、中入りなしでラストまで演じた。

 自虐ネタと客いじり(笑いすぎる客をいじる)に終始した。

 ま、たまには、こんな落語会があってもよいか。

2024年6月 4日 (火)

「ミセス・クルナス VS. ジョージ・W・ブッシュ」

 2001年、同時多発テロ発生後、アメリカは犯人探しに躍起になった。タリバン掃討に乗りだし、容疑者を片っ端から捕らえて、グアンタナモ収容所に収監した。拷問で悪名高いキューバにある収容所である。

ミセス・クルナス VS. ジョージ・W・ブッシュ」をアートセンターで観てきた。グアンタナモに収監された息子を救い出すため、奮闘した母親の物語である。実話をベースにしている。

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 チラシのコピーに沿ってあらすじを紹介すると・・・、2001年の同時多発テロの翌月、ドイツのブレーメンで暮らすトルコ移民のクルナス家の長男ムラートが旅先のパキスタンで、タリバンの疑いで拘束されてしまう。キューバにあるグアンタナモ米軍収容所に収監される。母親のラビエ・クルナス(メルテム・カプタン)は息子を救うためトルコ政府にも掛け合うが、のれんに腕押し、ラチがあかない。窮したラビエは人権派の弁護士ドッケ・ベルンハルト(レクサンダー・シェアー)に援助を求める。ベルンハルトは彼女の意向に沿うべく救済活動を開始する。

 彼女ともアメリカに渡り、司法関係の部署を回ったり、グアンタナモに収監されている他の家族との連携を図ったりして、解放をうったえる。

 ここからがながい。なかなかうまくいかない。ドイツ政府やトルコにも政府にも働きかけるが、事態は変わらない。ついには、アメリカの最高裁に正当な裁判にかけるよう訴訟を起こす.

 シリアスな内容だが、ユーモラスで軽妙な場面も多い。主人公を演じたメルテム・カプタンは人気コメディアンとのこと。肝っ玉母さんぶりが軽快である。バディ役の弁護士とのコンビもよい。その分、亭主の存在感は薄い。

 ワンカットしか登場しないタクシー運転手のエピソードも印象に残る。どんなエピソードかは映画をごらんいただくのがよい。

2024年6月 2日 (日)

戦禍の臭い 『戦争語彙集』

 ロシアによるウクライナ侵攻はいまだ収束の兆しはない。もういい加減にしたらと言いたいのだが、それは部外者の見解であって当事者はそうはいかない。それはわかるが、第三者第三国は、関心も支援も薄れている。

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戦争語彙集』を読んだ。避難するウクライナの人たちが語ったことを証言集としてまとめたものである。タイトルから、戦時下に生まれた新語とか新表現を事典のようにしたものと思っていたが、そうではなかった。インタビューの断片集である。

意外性はさほどない。ブチャでの悲惨な映像を目にした者にとっては、そうだろうなあと、うなずくだけで、それ以上の感慨はでてこない。疲れかもしれない。

 それでも、印象に強く残るものもある。たとえば臭い。

「痛みの臭い、忘れられるもんじゃない」。「金属っぽい甘い血液の、何日も洗ってない体の臭い」

 映像や音声は記録に残る。痛みはわかるが、臭い、匂い、嗅覚といったものは表現しにくいから記録には残らない。

 バラの匂い、リンゴのにおいはわかる。しかし、痛みの臭いは・・・想像できない。

2024年5月31日 (金)

「青春」 ワン・ビン

 アートセンターでワン・ビン監督の「青春」を観てきた。

 ワン・ビンはドキュメンタリーの巨匠といわれている。いくつもの名作をてがけてきた。映画は観たいが、ちょっと難点がある。尺が長い。5時間を超すものもある。今回の「青春」は3時間35分。

 このくらい長いと問題は尿意である。出口近くの通路側の席を選んだ。もちろん水分摂取は控えて。

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 揚子江下流の工業地帯、子供服の縫製工場で働く若者たちの姿を描いている。電動ミシンのモーター音がダッダッダッとうるさいほど響く。ミシンの糸は切らず、次々と縫う。あとでたたむときに縫い糸をカットする。手際がよい。働き手は20前後の若い男女。みな、安徽省などからの出稼ぎである。

  給料は安い。しばしば賃上げを社長(縫製工場は小規模)に申し入れるが、すんなり賃金が上がるわけではない。寮生活や恋愛模様も描かれる。ワン・ビン初めての劇映画と聞いていたが、ドキュメンタリー映画といわれたら、そうかと思う。それほど日常が淡々と描かれている。

 ひたすらミシンに向かう。そのシーンが長い。モーター音がうるさいと感じたが、途中からはそれが日常だと馴れてしまう。日本の想田監督に「牡蠣工場」というドキュメンタリーがある。牡蠣を剥くシーンが延々と続く。あれを思い出した。船酔いのような気分になる。モーター音はマシンガンのようでもあるが、馴れると頭がしびれるようになる。心地よく響く。不思議なことだ。

 3時間半、途中でトイレに駆け込むことはなかった。モーターの響きが尿意を忘れさせた。映画に起承転結はない。ワン・ビン流の描き方はこうである。

  そして、たぶん、今も、ミシンは音を立てて回っているだろう。

 

2024年5月29日 (水)

『歳月』

 目が悪くなったことは何度も書いた。映画の字幕も読みづらくなった。適当に読んでいる。困ったことだが、そのぶん、英語のヒアリング能力が上達したようだと、うそぶいている。

 細かい字の本は読まないようにしている。活字の大きい本がよい。さらにわかりやすいものがよい。

スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの『歳月』を読んだ。これは目に優しい。交遊録。軽いエッセイというかコラム集で、内容も易しくて優しい。

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 短いコラムだが、人物を的確に短い文章で描写している。

 たとえば、スティーブン・スピルバーク。ジブリ美術館に訪れた際、トトロぴょんぴょんが気に入って、その前に座り込んで動かなくなった。3時間も。

 ジブリパークが長久手につくられたきっかけも明らかにしている。ファンは当然知っているかもしれないけど、私は初めて知った。ヘェ、そうだったのか。鈴木敏夫さんは名古屋出身である。それと関係がある。

映画「君たちはどい生きるか」の前宣伝がチラシ一枚だったいきさつも。

 本の題は茨城のり子の詩集から採ったという。なるほどね。

 鈴木さんの人柄の良さが感じられる。穏やか。それが、ジブリがうまくいっていることと大いに関係がある。

 

2024年5月27日 (月)

「関心領域」

 イオンシネマで「関心領域」を観てきた。

 冒頭、不気味な不協和音が流れる。映像は穏やかで、川の畔でピクニックをするシーンとなる。家族らしい。家に帰ると、女は庭の草花の手入れをする、子供たちは庭のプールではしゃぐ。家は広くて片づいている。セントラルヒーティングの設備も整っている。裕福な家である。

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 隣は高い塀の施設である。ときどき叫び声が聞こえる。

 裕福な家庭の主がルドルフ・ヘスであることが明らかになる。ということは塀の向こう側がアウシュビッツ収容所だと観客は知ることになる。塀の中については映し出されないが、そこは地獄である。こちらの大きな家は天国といったところか。

 ヘス所長に転勤の辞令がでる。収容所を統括する部署への栄転である。ところが妻は喜ばない。ここでの平穏な暮らしを手放したくない。猛反対する。ヘスは仕方なく単身赴任することになる。

 収容所の中を描いた映画はたくさんあった。その外を描いたものはこれまでなかった。そこが新鮮、おもしろい。外にいる婦人にとって、塀の向こう側は無関心領域である。

 不気味な不協和音は静かに流れる。ときおり大音響となる。

  この映画からさまざまな連想がわく。不協和音が流れているが、ふだんは気づかない。耳をすませば聞こえてくるかもしれない。

 

2024年5月25日 (土)

『彼女たちの戦争』

 登戸研究所資料館主催の「女の子たち風船爆弾をつくる」というイベントが明治大学生田校舎あった。作家の小林エリカさんと山田朗さん(明治大学平和教育登戸研究所館長)の対談である。

 生田は新百合ヶ丘から近い。登戸研究所資料館にはこれまで何度か行っている。ドキュメンタリー映画「陸軍登戸研究所」も二度観ている。しんゆり映画祭でも昨年、地元映画として上映した。部外者にしては登戸研究所のことをよく知っているつもりだ。

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 小林エリカさんの著作では『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』を読んでいる。戦争に翻弄された女たちを紹介したコンパクトな評伝集。28の章で構成されおり、第1章がマルゴーとアンネ・フランク姉妹、最後の章が風船爆弾をつくった少女たちとなっている。登戸研究所は風船爆弾開発にかかわっている。

 今回の対談は、動員により風船爆弾を組み立てた女学生たちの話である。「女の子たち風船爆弾をつくる」というのは小林さんの最新の小説(ノンフィクションノベル)のタイトルになっている。

 風船爆弾の風船部分は和紙とこんにゃく糊で作られている。動員された女学生たちは風船に組み立てた。場所は有楽町の東京宝塚劇場。なぜ宝塚劇場だったか、以前何かで読んだ記憶があるが、天井の高い建物だったから選ばれた。

 風船爆弾は気流に乗ってアメリカ大陸まで届いた。おもちゃのような風船だが、この爆弾で数名が犠牲になっている。

 対談は面白かった。ノンフィクションノベルにはいくつもの工夫が凝らされているようで、興味が増す。読みたくなる。『彼女たちの戦争』に紹介されていたアンナ・アフマートヴァの詩も読んでみたい。目が悪いのに、読みたい本が増えていく。

 

2024年5月23日 (木)

 「碁盤斬り」

碁盤斬り」と聞いて、ああ、あれねと、落語通ならわかる。「柳田格之進」である。

 落語の「柳田格之進」は30分ほどの噺。それを2時間ほどの映画にするなら、サイドストーリーを入れ込むなどの肉付けが要る。どんな工夫をしているのか興味がわく。イオンシネマで観てきた。

 主演は草薙剛。監督は白石和彌。好きな監督だ。

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 柳田格之進(草薙)は藩での内紛の責任をとって浪々の身となった。落語ではそのあたりのいきさつは省いている。囲碁が大好きで碁会所で大店の旦那(國村隼)と知り合う。こちらも大の碁好き。旦那の家に招かれて碁を打つようになる。ある日、番頭が集金した金を旦那に手渡すが、金のありかが不明となる。その場には格之進がいた。さては格之進が盗ったにちがいないと番頭は旦那にうったえるが、旦那は詮索するなと答える。番頭は納得せず、格之進の住まいに出向いて、金がなくなったことを伝える。暗に格之進が盗ったのではないかと問い。金が出てこなければ、奉行所に届けを出すと告げる。

 奉行所が絡むとやっかいなことになる。格之進は50両を用立てると答える。と、答えたものの金はない。仕方なく、娘を吉原に売ることにする。50両を工面した格之進は、もし金が出てきたら、番頭と旦那の首を斬ると宣告して金を渡す。

 映画では、落語に登場しない手代(中川大志)が格之進宅に行くことになる。ここが違う。

 さらに吉原の女将も登場する。これが「文七元結」に出てくる佐野槌の女将とそっくり。なるほど「文七元結」のエピソードをくっつけることで人情噺に仕立てている。暮れまでは店には出さないが、返済できなければ年明けには店に出すと女将は言って金を出す。女将を演じるのは小泉今日子。ここまでが前半。

 囲碁のシーンが長い。すりきれた碁石が印象的。たぶん江戸時代の碁石はこんなんだったのだろう。

 後半には藩でのいざこざ(格之進は冤罪で藩を辞すことになったいきさつ)  が描かれる。敵であった侍(斎藤工)が登場する。この侍も碁が強い。格之進との対局となる。そして、ついに乱闘。この乱闘シーンがすさまじい。迫力がある。この映画のみどころのひとつであり、白石監督の本領発揮といった場面である。

 これ以上書くとネタバレになるのでやめておく。なるほど、うまい脚本にしていると思うが、ちょっと納得できない点もある。まあ、それは致命的なものではない。格之進の娘役の清原果耶がういういしい。

 肝心なことを書き忘れていた。落語のオやは碁盤斬りになるが、碁盤斬りをやらない噺家もいる。

 

2024年5月21日 (火)

「夜明けのすべて」

  職場にときどきヒステリックに声を荒らげる女性がいた。50年ほど前のことだ。当人に聞いてみると、生理が近づくとイライラが高じてしまうと語っていた。いまだとPMS(月経前症候群)という病名がついているが、当時は変な目で見られていた。

 そのPMSの女性を描いた「夜明けのすべて」をアートセンターで観てきた。監督は「ケイコ 目をすませて」の三宅唱

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 PMSの藤沢さん(上白石萌音)は病院に通いながら働いていたが、そこを辞め、プラネタリウムや顕微鏡を作っている会社に転職する。同僚の山添くん(松村北斗)は電車に乗れないなどパニック症候群を抱えていた。会社はふたりに温かかった。ゆったりした雰囲気がただよう明るい職場だった。だめ男を演じることが多い三石研とか渋川清彦が出てくると緩くなる。ぎすぎすした職場にはならない。

 で、なにかシリアスな事件が起きるかというと、起きない。ずっとホンワカである。二人は結ばれるかというと、そうでもない。未来はわからないが。やわらか雰囲気が漂っている。

 先だって観た「辰巳」とは大違いの映画だ。こっちのほうが断然おもしろい。お勧め。

2024年5月19日 (日)

扇遊・鯉昇二人会

  鶴川落語、今回は入船亭扇遊瀧川鯉昇の二人会。二人とも70を過ぎた。味わいあふれるベテラン噺家である。出身も同じ静岡県。熱海と浜松。所属団体は違うが、仲が良い。誰だったか忘れたが、二人で飲んでいるのを見かけたことがあると語っていた。

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 今回の演目

  鯉昇  千早ふる

  扇遊  不動坊

  扇遊  青菜

  鯉昇  お神酒徳利

  おなじみの古典噺である。ただし「お神酒徳利」をやる人は少なくなくなったように思うが、どうだろうか。

  長い噺である。暮れの大掃除、家宝のお神酒徳利の行方が分からなくなる。二番番頭が盗まれてはいけないと水瓶の底に隠していたのだ。ところが当の本人はそれを忘れていた。あとで気づくのだが、女房の入れ知恵で、ただちに見つけないようにする。そろばん占いで徳利のありかを告げる。とうぜんのことだが、、徳利は見つかる。主人は大喜びする。 

 二番番頭の占いは当たる、大したものだと評判になる。これを聞きつけた鴻池の支配人が、主の娘のためにぜひ大阪まで来てくれないか懇願する。で、大阪に向かうのだが、途中の神奈川宿で盗難事件を占うことになる。

 ここまでが前半。このあたりで終えてしまうパターンもあるが、鯉昇さんは最後まできちんと演じた。難しい噺だし、演じきるにはネルギーがいる。とくに頭がしっかりしていないとムリ。高齢になると避けたい噺である。鯉昇さんは、それを乗り越えて、さらっとやってしまう。大したものだ。たぶんきちんとさらっていたにちがいない。もちろんそれは見せない。

 10年ほど前か、鯉昇さんの「お神酒徳利」を聴いたことがある。それと変わらない。風貌もむかしと変わらない。ずっと老けて見える。が、頭脳は若い。私は陶然として聴いていた。

2024年5月17日 (金)

「辰巳」

 銀座で飲み会があった。その前に、いつものように映画。渋谷のユーロスペースで「辰巳」を観た。

 映画祭仲間の評判はよい。バイオレンス映画なのに女性からの評価も高い。ならば観ておかなくっちゃ。ユーロスペースはミニシアターとして評価は高い。でも、シートは古くなって座り心地はわるい。

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 小路紘史監督作品を観るのは初めて。いきなりの暴力。女が簡単に殺される。遺体の始末はそっちのけで、殺された女の妹・葵の感情にスポットをあてる。葵は暴力的である。これに辰巳という男が加わって、暴力はさらに続いていく。

  ざっとこんな設定なのだが、残酷なシーンが多い。こういう映画、好きじゃない。嫌いな映画だ。暴力の先に叙情性があるかというと、さほど感じられない。なぜこんな映画が評価されるのか、温厚な老人にはわからない。

 ふと、ある考えが浮かんだ。コリアン・バイオレンス・シネマを追随した映画ではないかと。最近はあまり観ていないのでなんともいえないが、韓国映画には暴力シーンが多い。暴力を残忍に描いてきた。たとえばキム・ギドク監督。映画の評価は高かったが、暴力も容赦なく描いた。コリアン・シネマはこの手の暴力を描いていた。「辰巳」はそのコリアン・スタイルを意識し、追随した。

 そんなことを考えながら、銀座に向かった。飲み会は愉快だったが、酒が進み、一人ぶっ倒れた。泥酔。殴られたわけではないが立ち上がれなかった。

2024年5月15日 (水)

「猿の惑星 キングダム」

 SF映画のシリーズものでは「猿の惑星」が好きだ。「スターウォーズ」よりも好んで観ている。設定がシンプルなところがいい。

猿の惑星 キングダム」を観てきた。シリーズ10作目になるという。配給会社の意向なのか宣伝はあまりやっていない。だから、「猿の惑星」の最新作を観たと言うと、「猿の惑星」なんてやっているのとの反応が多い。知らないんだ。

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  人工のウイルスによって猿(エイプ)が言語能力を発達させ、いまや惑星(地球)を支配するようになっている。人間は片隅に追いやられている。

ノア(エイプの若者)は険しい崖を登り卵(たぶんワシの)を獲ってくる。成人になるための通過儀礼らしい。ところが祭りを前にして、村は仮面をかぶった猿の軍団におそわれ、家族はちりぢりになってしまう。ノアは単独、家族の救出に向かう。少年エイプの成長ストーリーでもある。

 ノヴァという若い女性が登場する。漸くの人間登場。このノヴァが謎めいている。猿の軍団によってエイプとノヴァはとらえられ、猿の王国に連行される。よくわからない部分もあるが、荒唐無稽なのは承知の上。観客はスリリングなアクションシーンを楽しめばよい。

 ノヴァ以外の人間はわずかしか登場しない。猿のように原始的に暮らす人間もいれば、現代的というかコンピュータを駆使している人間もわずかだが、登場する。この手の映画は、対立する集団(人間と猿とか)が共生する道を探るってことがテーマになるのだが、そのあたりは希薄である。

 ご存じかと思うが、ご存じない人もいるから説明しておくと、猿はモンキーとエイプに分けられる。モンキーはニホンザル、エイプはゴリラとかチンパンジーのたぐい。エイプは類人猿と訳してよい。猿の惑星の原題はプラネット・オブ・ジ・エイプスである

シリーズ一作目での衝撃のラストシーンがなんといっても印象的だから、あれほどの驚きはない。とはいえ、現在の世界情勢と重ね合わせれば、面白さは増加する。

2024年5月13日 (月)

赤気有り

 北海道をはじめ珠洲などでもオーロラが観測された。ふだんは高緯度の地域でしか見ることができないが、太陽フレアと呼ばれる爆発が活発で、大きな磁場嵐が起きて、低緯度でもオーロラを観測することができた。

 日本では珍しいが、古い記録は残っている。藤原定家の『明月記』に「赤気」があったと記されている。以前、当ブログでも紹介したことがある(2020/03/25)。興味のある方はご覧いただきたい。

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 川崎では見ることができなかった。天気も悪かったし、ま、これは致し方ない。

 それより気になったのは天空の星。珠洲の夜空は星がいっぱいだった。都会ではあれほどの数は見えない。大気が汚れているせいもあるが、夜でも明るいから、星影は照明によって沈んでしまう。

 オーロラはともかくとして、照明のない山奥で、夜空を眺めてみたい。

 

2024年5月11日 (土)

運転免許を返納すると

 運転免許の返納について、次のような記事を見かけた。

「筑波大学の調査だと、免許を返納すると5年後に要介護になる確率が2.2倍ぐらいになるという。 絶対に免許を返納してはいけないという・・・」

 これって、ほんとだろうか。どのような根拠があるのか。ちょっと考えれば、怪しいことがわかる。

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 免許証を返納するのは、運転に自信がなくなったとか、家族からあぶないから止めるように言われた人だろう。それと年齢にもかかわらず運転に障りがない人と比較するのだから、おのずと違いがある。運転が怪しい人は老化がすすんでいる。要介護、認知症予備軍である。それと元気な人とを比較するのはどうかと思う。

 免許を返納すると頭を使わなくなり認知機能が衰えると思わせるのは明らかに誤りである。2.2倍などというもっともらしい数字をあげると、それらしくなる。信じてしまう人もいる。

 返納と運動機能の衰えは多少の関係があるかもしれないけど、返納することと機能低下とに因果関係はない

 こういう誤り、統計のウソをしばしば見かける。

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