新明解・・・・明鏡止水の心境
「新明解」の山田主幹は役人嫌いである。政治家も嘲笑の対象になる。その手の言葉の語釈がたくさんある。
まずは「善処」。新明解だとこうなる。
善処する うまく処理すること。〔政治家の用語としては、さし当たってはなんの処置もしないことの表現に用いられる〕
この語釈は初版からまったく変わっていない。これを知ったら、政治家は、善処なんて表現をもちいるのを避けると思うのだが、そうでもない。辞書など読まないのかもしれない。
同じ三省堂の『三省堂国語辞典』。こちらは見坊豪紀主幹の語釈。
[役所などで、あまりやる気のないときの返事に「-したい」と使うことがある]
次に「明鏡止水」。
〔曇りの無い鏡と静かにたたえた水の意〕心の平静を乱す何ものも無い、落ち着いた静かな心境。〔不明朗のうわさが有る高官などが、世間に対して弁明する時などによく使われる〕
この明鏡止水で思い出すのが、宇野総理大臣。指三本とかで総理の座を投げ出したとき、インタビューに「明鏡止水の心境であります」と答えた。心の中はさざ波どころか、悔いと怒りではらわたは煮えくりかえり、大波が渦巻いていたと想像するのだが、こう答えるのが政治家なんだろう。
このところ総理大臣は短期間で辞めてしまうという話の折、指三本の話題になった。神楽坂の芸妓が、宇野なんて男が一国の総理になるのはとんでもないと過去をばらしてしまい、マスコミのかっこうのネタとなってしまった。指三本をたて、三十万円でどうかとサインを出した。芸妓の方は当然三百万円のサインだと思い込んだ。これがことの発端である。
そうしたら、連れの友人が、あれは指三本を入れたからじゃなかったっけと言うのだ。
どこに? あこに。酒が入っていたものですから、ちょっと話が卑猥になりました。スミマセン、ユルシテクダサイ。(これは落語家、柳家権太楼の口調です)
指三本も入れてはイケマセン。やさしく愛撫し、高まってから、まずは、指一本で・・・これもバカ友人のことばです。酒の上でということで、ユルシテクダサイ。
ことの成り行きで、こちらも相手にあわせた。「そう、指は一本。で、ただしく指一本を守った小説家がいるんだけど、誰だかわかるかい?」
むろん知らないという返事。
正解は、川端康成。名作『雪国』である。島村は「この左手の人差し指。この指だけがこれから会いに行く女をなまなましく覚えている」と女のことをも思い出すシーンがある。そして指を鼻に近づけ匂いをかぐ。かなりエロチックな表現である。
「へー、そんなシーンがあったっけ。憶えてないぞ。ということは島村は左利きだってことか。人差し指ねえ。おれは中指なんだけど」と話は弾む。スミマセン、ユルシテクダサイ。
さらにひと押し。「5本全部入れちゃった男がいる。誰だかわかる」
「5本!! 許せんなあ。いったい誰だ」
石川啄木。『ローマ字日記』の中にでてくる。手くびまでいれちゃう。
うそと思われるかもしれないけれど、ホントです。
今回は、新明解からちょっとずれてしまった。
ついでのひとこと
「ユルシテクダサイ」は、権太楼の「疝気の虫」のなかに出てくる。この「疝気の虫」は絶品である。さまざまな噺家の「疝気の虫」を聴いたが、権太楼が一番である。ぜひCDで聞いてもらいたい。立川志らくのも面白い。ただし、しぐさが持ち味なので、姿が映るDVDでないとダメ。志らくのDVDが出ているかどうかは知らないけど。
このユルシテクダサイを他の噺家がギャグとして使っている。それだけ評価が高いということ。その噺家とは柳家喬太郎。「竹の水仙」のなかで、このマネをして「おまえは柳家権太楼か!」とやる。会場、爆笑となる。
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