無料ブログはココログ

«  友引に葬式をしてはいけないか | トップページ | 「J・エドガー」と夕日に赤い帆 »

2012年1月31日 (火)

百メートル道路上にあったエンゼル球場

 以前、名古屋の百メートル道路について触れたことがある。書き忘れたことがある。

 名古屋タイムズ社前、東陽町通りの反対側には、いまもその名称が残っているかどうかは知らないけれど、エンゼルパークがある。野球場だったことがある。エンゼル球場。森永キャラメルの黄色い宣伝の入ったベンチが置いてあったのを記憶している。森永製菓が支援していたので、たぶんエンゼルという名称が付けられたのだと思う。

当時としては数少ない本格的な少年野球用の球場であった。バックネットがあり、階段式の観客席があった。小・中学生の野球大会はここで開かれた。小学生のころ、ここによく応援にいった。当時は、スポーツといえば野球である。キャッチボールと草野球はどこでも見られる風景であった。

 わたし自身がここで野球をすることはなかった。一応野球部に入ったのだが、たちまち落ちこぼれた。家が近かったこともあり、応援だけで出掛けた。

 中区だけでなく、名古屋市の大会、地区を勝ち上がったチームによる本戦の決勝トーナメントも行われた。中区にいると分からなかったが、他の区のチームからするとエンゼル球場で野球をするのが夢だったようだ。そう聞かされたときは、ああそんなものか、いわば高校生にとって甲子園のようなものかと理解した。

少年野球小説といえば、阿久悠の『瀬戸内少年野球団』や井上ひさしの『下駄の上の卵』を思い出すが、あれより十数年後の時代である。「ALWEYS三丁目の夕日」の時代と重なる。

エンゼル球場の北にはすでにテレビ塔があった。テレビ塔が完成したのは1954年。東京タワーより4年ぐらい早い。

ちょいとそんなことを思いだした。

ついでのひとこと

「ALWAYS 三丁目の夕日」のポスターにある東京タワーの姿は(都電通りの向こうに東京タワーが見える)、JR田町駅近くの札の辻の交差点から赤羽橋方面を眺める情景と似ている。タワーの裾まで見える。

東京タワーのてっぺんは、かすかに右に傾いている。昨年の大震災で歪んだ。スカイツリーばかりが話題になるが、この傾きを眺めるのも一興である。

ところで、あのてっぺんを修理が始まった。スカイツリーができるとてっぺんのアンテナは無用になる。ならばそのままにしておけばよいのにと思うが、まっすぐにするのだそうだ。

傾きを見るなら今のうちである。

«  友引に葬式をしてはいけないか | トップページ | 「J・エドガー」と夕日に赤い帆 »

世事・世の中」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 百メートル道路上にあったエンゼル球場:

«  友引に葬式をしてはいけないか | トップページ | 「J・エドガー」と夕日に赤い帆 »