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2012年1月11日 (水)

キャンプの住宅・・・敗北を抱きしめて

 名古屋の市街地には二本の百メートル道路が通っている。南北は久屋大通り、東西が若宮大通りである。都市防災のモデルと言われている。

 幼いころ、この近くに住んでいた。この道路が作られていく過程を垣間見ながら育った。

若宮大通りに平行して北側には東陽町通りがあった。今もあるが、昔の面影はない。

 若宮大通りを背にして東陽町通りに面したところ、さらに久屋大通り上に、名古屋タイムズ社の本社ビルがあった。当時は有力な夕刊紙を発行する新聞社であった。西欧の大聖堂のように尖った建物で、てっぺんは灯台になっていた。航空灯というのだろうか。灯台は岬や島にあるのがふつうだが、ここは航空機の夜間フライトのためのものであって、名古屋の夜空といえばこの航空灯の明かりが回っているのを思い出す。表現は悪いが、刑務所のサーチライトのようにも思えた。

百メートル道路が交差する西側、つまり若宮大通りには占領軍(アメリカ)のキャンプがあった。どのぐらいの規模でなんの施設かわからないが、平屋の一戸建ての住宅が並んでいた。真っ白なペンキの色がまぶしかった。庭もあった。芝生だったかどうか覚えていないが、垣根も白いペンキで塗られていた。清潔感が漂っていた。アメリカという国の豊かさを感じた。

日本は、こういう国と戦ったんだ、負けるはずだと子供心に感じた。

ところがである。この感慨を覆すような事実を知ったのはあれから何十年もたってからである。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』を読んでいたときのことである。米軍の住宅費は日本政府が払っていたというくだりがある。えーっ、あの白い住宅はアメリカが自分の費用で建てたんじゃないのか。飛び上がらんばかりに驚いた。

その部分を要約する。上巻の134ページあたり。

占領軍の住宅費と維持費の大半は日本政府負担となった。この支出は占領開始時の国家予算の三分の一を占めた。予算項目では占領軍住宅費ではなく「終戦処理費」とか「その他費用」で処理されたため、目立つことはなかった。アメリカの生活水準にあわせる必要があり、たとえば将校が接収いた民家を「最新式」にしてほしいと言えば、電話、ストーブ、トイレを取り替え、電気、水道の施設を更新した。さらに、庭の池をプールに改造する費用まで負担したこともあった。

 ウーンと、うなるしかない。住宅費だけで国家の三分の一である。戦争に負けるとはこういうことなのか。日本国民の生活向上などは二の次になったのも当然である。

 ということで、私の心の中で、あの白いペンキ塗りの住宅の色も褪せていった。

 現在でも米軍の駐留費用の一部を負担する「おもいやり予算」がある。それとこれは別物だろうが、予算の多寡はなんとも思わなくなった。ずっと支出してきた。これからも負担させられるんだろうなあ。

名古屋の消防出初め式はこの米軍キャンプ前、矢場町で当時行われた。出初め式と米軍キャンプが私の心の中では重なる。

二三日前、テレビで出初め式を映していた。ふと、この米軍キャンプのことを思い出した。で、このことを書いてみる気になった。

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