首都圏直下型地震・・・歴史は同じようには繰り返さない
首都圏直下型地震が起きる確率が、4年内に70パーセントとか、5年内に28パーセントとか発表されている。どれが正しいのか、なぜ差があるのか議論されているが、どうでもいい話である。要は確率の問題、明日あるかもしれないし、50年後かもしれない。この議論が役に立つとも思われないが、備えだけはしておいた方がよい。
江戸時代末期の首都直下型地震である「安政江戸地震」で、地域により震度に差があったとする分析結果を紹介していた(日経2月12日)。東大地震研究所の都司准教授が、古文書を読み解き、被害状況により震度を推定したものだ。
それによると、現在の千代田区丸の内や内幸町あたりは震度6弱以上、中央区は震度5強以下と推定される。差がある。これは、おおよそ原因がわかる。
日比谷入江である。江戸時代より前は、浜松町から新橋あたりを河口として日比谷まで入江になっていた。銀座や東京駅あたりは陸地で、江戸城方面から見ると島のように見えたので、前島と呼ばれた。その入江を埋め立てたところに大名屋敷が建てられたわけで、ここが高い震度だったことは納得できる。液状化現象もあったかもしれない。
江東区清澄、墨田区立川なども震度6弱以上で被害が大きかった。これも推測がつく。利根川の付け替えである。利根川は江戸湾に流れていたが、治水対策として渡良瀬川水域に流れをかえる大工事が行われた。現在のようになるまではずいぶんと時間がかかったことは言うまでもない。関連して、荒川、子貝川、江戸川も流れが変えられており、これも掘削と埋め立ての結果、現在のような姿になった。したがって埋め立てられたところの震度が高かったのもうなずける。
次に起きる首都直下型地震ではどうなるかというと、これはわからない。歴史は繰り返すというが、同じようには繰り返さない。安政江戸地震は150年前であり、その間に地盤はかなり固まったかもしれないから日比谷あたりが高い震度となるかどうかは不明である。用心が必要なのは戦後埋め立てられたところだろう。東関東大地震では浦安あたりが液状化したが、さらに西寄りの埋め立て地に甚大な被害が予測される。震度は7に達するという見解があるが、このあたりかもしれない。
地震の予測はつかないけれど、安政の大地震の際には、数日前から地鳴りがしたという記録がのこっている。余震ではなく予震である。
予震を正確な予知に結びつけられないものか。何パーセントという起きる確率よりも重要なことだ。ナマズさんに聞くしかないか。ドジョウさんでは無理のようだから。
ついでのひとこと
昨年の震災、あの日どこにいたか、訊くようにしている。
これがなかなか興味深い。
東南アジアに旅行中で帰国が遅れたという人。
東北に出張中。停電で困った。結局、バスも利用し、新潟経由で帰ったという人。
ビックサイトの展示会に行っていた。結局そこのホテルのロビーで一夜を明かしたという人。
帰宅の途中、諦めて、早々とビジネスホテルを予約した。大正解だったという人。
わたしは、あの夜、田町近辺にいたが、品川方面に歩く人であふれていたことに驚いた。深夜、新宿駅の階段が座り込む人でいっぱいだった。異様に感じた。
被災地から遠く離れていてもそれぞれの体験がある。
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