生死に流転するきづな
あまり大きな声では言えないが、絆ってことばには違和感がある。
大震災以来、やたら新聞紙上に登場し、威張っている。絆、絆と聞くたびに、心にしらけた風が吹いていくのを感じるのだ。大嫌いというわけではないが、よそよそしいというか、そらぞらしい気分になってしまう。
なぜ、絆を避けたくなるかというと、そこに呪縛のにおいを感じるからである。べたべたした関係といったものを、汗だらけのむくつけき男に抱きしめられたようなイメージを抱くのである。
そうではなかろうとおっしゃるかもしれないが、感じてしまうものはどうしようもない。オマエはへそ曲がりと言われるかもしれないが、そう感じるのは事実なので、言いたきゃ言えである。
ところで、「週刊文春」の林真理子のコラムを読んでいたら、絆について、興味深い下りがあった。時代小説を書く際に、大学の歴史学の大先生に時代考証をお願いしているが、つくった和歌をチェックしてもらったところ、「江戸時代に絆という認識も言葉もありません」と言われたというのだ。
絆って、新しいことばなの、と驚いた。図書館に行き、『日本国語大辞典』で調べてみた。
①馬、犬などをつなぎとめておく綱。
②人と人とを離れがたくしているもの、断つことのできない結びつき
用例として「生死に流転するきづななるがゆゑに・・・」(平家・維盛入水)を紹介している。
なんだ、江戸時代より前からあるじゃん。大先生の言う認識も言葉もなかったとはどういうことだろう。和歌としては使わない表現ということなのか。さっぱりわからない。
まあ、どうでもいい。絆なんて表現は、あっしにはかかわりのないことばなんだから。
ついでのひとこと
絆は、糸へんに半と書く。なぜ半なのか。
ひもを半分に折って、そこで馬の足を入れてつなぎ止めておく、そこから来ているのだと推量したのだが、正しくは、糸と八と牛からできている。いけにえの牛を真ん中で二つにして糸で絡めることを意味しているのだそうだ。
そうなら、絆は、ひどい動物虐待の漢字ではないか。
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