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2012年3月 7日 (水)

立川談笑独演会に行ってきた。

立川談笑独演会(北沢タウンホール)に行ってきた。談春ではなく談笑ね。

今回の演目は、「長短」「粗忽長屋」「二人旅・改」。書き出すとディープな内容になり、オマエの落語のブログはトリビアすぎて難解と言われそうだから(実際、3人ほどに知人から言われた)、できるだけわかりやすく簡潔に書いてみる。

「長短」は気が長い男と気の短い男の話。気の長い男が話題からずれていくのを気が短い男がイライラしていくところが見どころ。そんなに長い噺ではないのに、これを談笑は長々とやった。おもしろかった。でも途中からこちら(観客)もイライラしてきた。おれは短命ではなく短気だと気づかされた。そういう気分になるように演じたのかもしれない。けれんたっぷりの熱演だった。

続いて「粗忽長屋」。これは有名な噺だからご存じだろう。行き倒れの死体を見た八五郎が隣の熊さんだと思い、長屋に帰って、熊さんにお前が行き倒れになっている、はやく遺体を引き取りにいけという。心配になって駆けつけるとたしかに自分が死んでいる。死体を抱き上げる。「抱かれているのは確かにオレだが、抱いているオレはいったい誰なんだろう」というのがオチ。

談笑バージョンは、このナンセンスといおうか哲学的なオチのあとに、さらにエピソードを付け加える。これは名演であった。「粗忽長屋」といえば談笑を聴けというぐらいの名演であった。

ここで中入り(休憩)。正確な時間は計っていないが、この二席で一時間半ぐらいかかったのではないか。このあとの「二人旅・改」はどうなるのかと心配になった。

この「二人旅」は談志が得意としたネタ。旅人二人が謎掛けや即興都々逸をやる噺で、いわば二人で「笑点」の大喜利をやっていると思っていただいてよい。ばかばかしいが、テンポが命の噺である。軽い噺のわりには難しいから談志以降あまり演じられない。これを現代の東南アジアの山奥に行く商社マン二人にしたのが談笑バージョン。イラサリマケー。(イラサリマケーの説明は省く)

こまかくなると、トリビアル(つまり難解)になるので、これ以上は言わないが、今回はあっさり短くまとめた。もう前半で疲れちゃったのか。引っぱろうとすればいくらでも引っぱれる噺である。

そこでふと思いついたのだが、この「二人旅」、橘家文左衛門ならどう演じるのだろうか。ヤクザっぽい割にはきちんと古典をやり、前座ネタでも手を抜かない噺家としてわたしは評価している。ぜひ持ちネタにしてもらいた。もう、持ちネタとなっているなら聴いてみたいと思ったのだ。

「道灌」は前座ネタだが、文左衛門の「道灌」は素晴らしい。

 書き出せば切りがないので、ここで留め置く。談笑ワールドは心地よい。放送禁止用語もそこそこ入って、テレビでは味わえない世界となる。ピーという音声を消す雑音のないライブにこそ、自由な空間がある。

ついでのひとこと

11月21日は談志家元の一周忌。とりあえず、都内では同時多発的に記念イベントが開かれるそうだ。

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