土葬であれ火葬であれ
半月ほど前、天皇がお亡くなりになった場合、火葬にする方向で検討するという報道があった。天皇のご意向とのことだ。
大昔は知らないが、天皇の埋葬はずっと土葬だった。それが火葬となるとひとつの時代を画することになる。
しもじもは火葬が当たり前になっている。江戸時代までは火葬もけっこう行われたが、明治以降は土葬が増えた。政府が神道の立場から火葬禁止令を出したからである。しかし東京など都市部では、葬るスペースがないとのクレームがつき、禁止令はうやむやとなり、火葬が続けられた。火葬が当然となったのは戦後からである。
江戸の焼き場は何カ所かあった。落語的知見で恐縮だが、古典噺にも焼き場がでてくる。「らくだ」は長屋で乱暴者の通称・らくだが死んで落合の焼き場まで運ぶという噺である。運ぶ途中の物語なので実際の焼き場は出てこないが、行き先は落合ということになっている。
もうひとつは「黄金餅」。下谷山崎町(上野)から西念坊主の棺(漬け物桶)を麻布絶江釜無村の木蓮寺まで運んで葬式をして、桐ヶ谷(五反田)の焼き場で腹の部分は生焼けにしてもらうという奇っ怪な物語である。落合、桐ヶ谷、いずれの火葬場も現存する。
火葬でも土葬でもなく水葬もあった。江戸では何十年かのサイクルで伝染病が発生、多くの人が亡くなった。インフルエンザ、コレラ、天然痘などである。土葬も火葬も間に合わないとなると、遺体を舟で品川沖に運んで海に流した。
品川の海藏寺は投げ込み寺であり、ここに死体の多くが運び込まれたものと思われる。
緊急時は例外的なことが行われる。先の東日本大震災でも、火葬場が間に合わなくて土葬にしたケースもあった。震災の行方不明者の多くは津波の引き水により海に流されたものと思われる。知り合いに行方不明者がいる。これは水葬と思い、海に向かって手を合わせることにした。
ついでのひとこと
散骨がブームという。どれほどの例があるか知らないが、知人で海に散骨をした人がいる。これがけっこう大変だったとのことである。散骨の許可がいる。船のチャーター料がばかにならない。僧侶へのお布施もある。手間とお金がかかる。故人の遺志だったそうだが、遺族の負担を思えば、海に撒くのは止めておいた方がよい。
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