おめでた婚と授かり婚はどう違うか
先だって結婚披露宴にでた。
式は場内のチャペル。このところチャペルばかりである。それほど頻繁に結婚式に出席しているわけではないので正確なことは言えないが、神前での挙式はきわめて少なくなっている。
なぜチャペルか。神前の場合、親族だけの参加になるが、チャペルなら披露宴出席者すべてが参加できるので、こちらのほうが多くなっているのかもしれない。
外国人の牧師だか神父が出てきて、いかにも外国人のような抑揚でたどたどしい日本語をしゃべる。外国人力士はたちまちのうちに日本語を習得するというが、神父さん(ここではそう呼ぶ)はへたくそである。むかしモルモン教のアメリカ人と話をしたことがあるが、たった一年の滞在で、素晴らしい日本語をしゃべるのに感嘆したことがある。それに比べるとひどい。
振り返ってみれば、いままで出席したチャペルでの結婚式の神父さんはすべて外国人だった。おおむね若い。イケメンが多い。しかし日本語は下手。妙なイントネーション。ひょっとすると、これらの外国人はわざと下手な発音をしているのではないか。下手であることのほうが、異国のような雰囲気が出せるとでも式場側は考えているのかもしれない。
そもそもなぜ外国人でなければならないのか。さらに疑れば、この神父、本当に敬虔なクリスチャンかよ、となるが、まあ、そこまで追及することもあるまいと思いながら、讃美歌を歌う。
どの式でも歌う讃美歌は同じである。
いつくしみ深き 友なるイエスよー
ついでのひとこと
妊娠したので結婚することを「できちゃった婚」という。
初めて聞いたときはなんと直截的な表現と思ったが、ちかごろは別のどうということもない、まあ普通よね、である。
それでも、あからさまという意味合いはあるようで、別の表現が出てきている。
「おめでた婚」。たしかにめでたい。結婚と出産(妊娠)が重なるのだからダブル慶事である。
「授かり婚」という表現もある。 授かった、たしかにそうだろう。でも、やっていることは同じだろうと思うが、少し婉曲にということで、これはブライダル業界が好んで使っているらしい。
言い変え表現であるが、あからさまさを幾分か緩和する効果はある。いずれ「できちゃった婚」は廃れ、死語となっていくかもしれない。
« ダーク・シャドウ 七〇年代の東海岸物語 | トップページ | 福祉を踏みにじっておりました。 »
「世事・世の中」カテゴリの記事
- 嘔吐と点眼(2025.02.07)
- まちがっているかもしれない(2025.01.20)
- どんど焼き(2025.01.18)
- 地下水道(2025.01.12)
- あけましておめでとうございます(2025.01.01)
キリスト教が肌に合わない小生は、この手の結婚式で牧師だか神父だか知らんが出てくるとげんなりします。流行だから呼ぶのか、それが上等だと思っているのか知らないが、馬鹿なやつだと思って我慢することにしている。語彙が乏しいからなのか日本の映画の題名に横文字をつけたり、受け売りであることを自白するように英語をやたら使いたがるのも、同じ病気なのかもしれない。
投稿: けやき | 2012年5月30日 (水) 22時00分