『パンセ』 人生は賭だ、を考える。
NHK(Eテレ)に「100分de名著」という番組がある。100分(25分を4回)で世界の名著を紹介・解説する番組である。6月はパスカルの『パンセ』が採りあげられる。
『パンセ』とは懐かしい。一部分だけであるが、いまでもときどき開くことがある。ならば、まじめに観てみようとテキスト(鹿島茂が解説している)を買ってきた。番組は6月6日に始まる。
パスカルに関心をもったのは、学生時、サルトルやカミユの著作を読んで、パスカルを知らないとサルトルなどは深く理解できないと感じたからである。
カミユには「パスルの言うところのディベルティスマン」などという表現がでてくる。ディベルティスマンとは気晴らしのこと。「人生はつまるところ気晴らし」。これをカミユは追究している。
サルトルといえば「アンガージュマン」(英語ではエンゲージメント)であるが、このことばは厄介である。よくわからない。結論から言うと、このことばの意味は『パンセ』を読むと染み通るようにわかる。
深く論じるつもりはないが(それほど深く理解しているわけでもないし)、ちょっと解説しておく。
アンガージュマンは、「自己拘束」「投企」「参加」「婚約」「決闘」「賭けること」などと訳される。幅が広くて何のことかさっぱりわからない。
自己拘束? 自分のからだを柱に縛りつけるようなイメージ。よく、わからない。
投企? これもわからん。なにを投げるのよ?
参加? 当時はベトナム反戦運動に参加することの意味で使われたが、なぜ参加となるのかはわからない。
婚約? 英語だとエンゲージメントになることは先述した。エンゲージリングが婚約指輪だから婚約である。婚約は自己拘束だと言われるとおぼろげながら結びつく。
決闘? サルトルはレジスタンス運動をアンガージュマンの重みをもっていると言った。戦いである。戦い、確かに、日本海海戦を英語に訳すると、エンゲージメント・オブ・ザ・ジャパン・シーとなる。なぜかバトルもウォーも用いない。
賭けること? なぜ賭博になるのか。
アンガージュマンのことばの広さや奥深さに戸惑うのだが、これが『パンセ』を読むと理解できるのだ。賭けとは、なにか資金を質(犠牲)として出し、別のもの、さらに大きな財とかを得ることである。資金を失うこともある。投資であるがリスクもある。
これを人生にたとえると、手持ちの時間や財を別のものと交換すること(選択すること)となる。人生は選択の連続である。ひとつ選択すれば別の何かを捨てることになる。それを取り戻すことができるかもしれない。その場合は時間と労力、あるいは資金がかかる。あたりまえのことだが、これをきちんとパーフェクトにパスカルは解説しているのである。
賭けの部分を少し引用する。
「賭けをする者は、だれでも、不確実なもうけのために、確かなものを賭けるのである。」(断章233)
「ところで人が明日のため、そして不確実なことのために働くとき、人は理にかなって行動しているのである。なぜなら、証明済みの確率決定の規則によって、人は不確実なもののために働かなければならないからである。」(断章234)
ついでのひとこと
『パンセ』の大半は、難解で、理解不能である。キリスト教のことなどさっぱりわからない。退屈でもある。その部分は飛ばし読みしている。だからオマエの読みは浅薄だといわれればその通りである。でも、それでいいのじゃないのかな。
アンガージュマンは、日本語に翻訳する場合、「選択すること」「取り替えること」と訳するのが妥当のような気がする。
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