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2012年6月 4日 (月)

 「延安の娘」  時代はめぐる

 誘われてドキュメンタリー映画「延安の娘」を観にいった。

 この映画について特段の知識はない。中国の下放政策の実態を描いた映画とだけ聞いていた。

 文化大革命当時、毛沢東は赤衛兵(中高生)に下放政策をとり、若者を僻地の農村に移動させた。強制的にである。その数、千六百万人という。政策は十年ほど続いた。若い男女である。そこに恋の一つや二つ生まれるが、恋愛は御法度だった。妊娠がわかれば中絶させられ、当人は反革命の罪で裁かれた。

 そうした監視のなかで、隠れて生まれる子供もいた。延安に住む海霞(ハイシア)もそうだ。生れてまもなく養父母の元で育てられる。長じて結婚し、子も授かる。しかし実の父母に会いたいという気持ちは抑えられない。親を捜そうと手伝う奇特な男がいた。この男、黄玉嶺は、下放政策でこの地にやってきて、そのまま延安に住み着いていた。かつて我が子を中絶させられ、五年間の刑に服したという過去をもつ。海霞のことはひとごとではないのだ。つて(かつての下放仲間との互助会組織)を頼って、海霞の父親を捜し当てる。その男は妻とは別れ、別の女性と北京の片隅で暮らしていた。父親は、写真を見て会いたいと言うが、洋服ひとつ買ってやれないと涙を流す。

 海霞の父親との再会のドキュメンタリーだが、さらに枝葉はある。黄玉嶺は似たような過去があったとしても、なぜお節介にも再会を手助けしようとするのか、黄の下放時代はどうだったか、その物語もあり、明かにされていく。さらに黄の友人に王偉という男がいる。冤罪で罰せられた過去をもち、黄と同じ収容所にいた。王偉は濡れ衣を晴らさないと死にきれないと言う。その意を受け、黄は、罰した当時の共産党幹部に会って冤罪であることを晴らそうとそうとする。

 上映後、この映画の監督である池谷薫さんの話があった。多くは撮影の苦労話であるが、その後の海霞はどうなったかという話もあった。知りたいところであるが、ここでは言わないでおく。

気になったのは、海霞が養父母を棄てても実の親に会いたい、北京に行きたいというシーンである。養父母にはとても言えないことばである。よく撮れたなと思っていたが、これは義理の姉に語っているのであって、監督に向かって話をしていたのではなかった。さらにカメラは望遠レンズで遠くから撮ったと池谷さんは撮影秘話を明らかにした。なるほど、そうかと納得した。ドキュメンタリーの手法のひとつである。

 それにしても、さまざまな人生がある。文化大革命だの、下放千六百万人だのといっても、ひとりひとりの顔が浮かんでくるわけではない。遠い遠い国の出来事で、翻弄された人たちの姿が見えてくるわけではない。遠くにいる我々には、大変だったなあというぐらいの感想しかない。

 この映画はそのひとつの人生をあきらかにした。その背後にはさらに膨大なさまざまな人生があることを実感としてわからせてくれる。

 ついでのひとこと

 この映画は十年ほど前に撮影されたものだ。延安がどれほど北京から離れているか地図で確認いただきたい。毛沢東が長征でたどり着いたのが延安であることはご存じだろう。映画で観る限り、延安のこの地は乾燥したすごい僻地のように映る。

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