こころの闇のその奥は
もうすっかり忘れられた感のある事件に「光市親子殺人事件」がある。
ことし、裁判は結審し、犯人(犯行当時十八歳)は死刑となった。これで終わりだから、マスコミも採り上げない、だから、えっ、どんな事件だっけ? と忘れ去られていく。いずれ刑が執行されるとき、わずかばかり話題になるかもしれないけれど、ひとびとの記憶の奥底に追いやられることになる。
母親と赤ん坊を殺し、暴行に及んだというきわめて残虐な行為で極刑は当然と思いつつも、なぜそこまでやったのか、犯人の精神状態がさっぱりわからないのだ。犯人は控訴、上告審で証言がクルクル変わった。ドラえもんのポケットうんぬんとか意味不明なことを語った。犯行をまったく反省していないようにも見受けられる。その一方で、精神に異常をきたしているようにも思われる。あるいは狂言なのか、さっぱりわからない。
幼い頃、母親と別れ、父親の下で暮らしたが、厳しい躾(精神的虐待)で育てられたことが犯人の性格を形成したと言われる。それが犯行につながったとする説がある。たぶんそうなのだろうが、直接の動機となると、さっぱりわからない。
こういう場合、便利なことばがある。こころの闇。こころの奥のその奥にひそむ混沌とした精神状態といったものか。闇だから見えない。たぶんその闇の中にある獣性が行動となって現れたのだろうと結論づける。要は、さっぱりわからんのだけれど、わからないとは言えないので、精神の深層の不明なところに起因すると考えましょうということだ。
ヒトの意識や行動は割り切れるものではないから、一刀両断に結論づけることはできないけれど、もっと、闇を探究してもよいのではないかと思う。
新明解国語辞典で「こころの闇」を引いてみた。
心が乱れて善悪の判断がつかないこと。
意外な語釈である。間違いではないか。不審に思い、「日本国語大辞典」(小学館)を引いてみた。
用例と長くなるので、語釈のみを挙げる。
①煩悩(ぼんのう)に迷う心を闇にたとえていう。思い惑って理非の分別を失うこと。迷妄の心。
②特に、子に対する愛から理性を失って迷う親心をいう。子ゆえの闇。
現代人の多くは、青少年が抱く複雑な心境、理解しがたい精神状態といったものを、こころの闇と考えているのだが、辞書の世界はまったく違う。
こころの闇とは、新しい表現と考えていたのだが、ずいぶん古くからあることばなのだ。この辞書では、最初の用例は、古今和歌集からのものだ。「かきくらす心のやみにまどひにきゆめうつつとは世人(よひと)さだめよ」。業平である。恋の煩悩である。
②の意味は、藤原兼輔の「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」からきている。闇ではないけれど、子を思う気持ちは複雑なもの、ということだ。
恋の妄想、親が子を思う気持ちを指す。それが異常な行動を伴うこともある。それをこころの闇と昔の人(千年も前の人)は言ったのだ。
ついでのひとこと
国語辞典が現代の言語生活に追いついていないという側面を感じつつ、わがこころの奥底の闇を沈思黙考すれば、恋の煩悩など、もうはるかかなたに遠のいていってしまい、あっけらかんとした空洞になっているのに気づいたのでアリマス。
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