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2012年7月27日 (金)

いやな渡世だなア  お先は端から・・・

 

 いやな渡世だなアとつぶやくのは、座頭市である。
そう言いたくなるけれど、浮世のことは笑うしかない。

 将来の原発比率について国民の意見を聞くという意見聴取会があった。アリバイ作りのようなイベントであることは十分承知している。案の定、電力会社社員も発言メンバーに加わっていた。組織を代表して、あるいは個人的見解としてであるが、いずれも原発推進の見解であった。
これを、とんでもない、やらせだ、電力会社の意見などもってのほかだという声があがり、マスコミもこれに乗っかった。で、結局は、その次の聴取会では電力会社社員の意見表明を締め出すことになった。
 これはおかしい、意見は言わせるべきだ、というのが私の見解である。世に、原発反対、推進、さまざまな意見があろう。それを反原発の立場から、電力会社関係者をやみくもに締め出すのはどうかと思う。言論の自由を圧殺することになる。
 まあ、聞きなさいよ。実際、電力会社社員の発言は興味深いものだった。個人的見解として意見が表明されたが、電力会社の意向、意識がくっきりと浮かんできていた。
 中電の社員は「放射能の直接的な影響で亡くなった人は一人もいない」と発言した。電力会社にはこういう意見もあるのかと驚いた。
 放射能の影響は何年か後に現れる。白血病になるかもしれない。被曝者はそのおびえを抱きながら生活している。被曝や避難で将来を絶望して死を選んだ人もいる。今も第一原発の現場で被曝しながら作業に携わっている人もいる。といったことを考えれば、この発言がひどい暴言であることは言うまでもない。ふーん、こいつらは原発事故をこの程度のこととしか考えていないのだ。すこしも学んでいないのだ。
 こうした発言から、いわゆる原子力ムラを覆う空気を読みとることができる。それをとんでもない意見だ、ヤラセだなどといって締め出すのは、もったいない。せっかくの場である。意見を聞こうじゃないかと、どうしてならないのだろうか。締め出せば、原子力ムラはますます殻に閉じこもり、裏であれこれ画策を進めるだけである。
 締め出しはファッショである。そこそこのリテラシーがあれば、ムラの意向を読みとることはできる。
 私は反原発派ではない。かといって推進派でもない。容認するとしても、今回の大飯原発の再稼働は性急過ぎると考えている。以前にも述べたが、全電源喪失の事態になった時点での自動注入システムができていない(3年後までにはできる予定?)、いざベントとなった場合、放射性物質の拡散を抑制するフィルターが完備されていない(これも3年後?)、水素爆発防止の仕組みが不十分(素人なので、これはよくわからないのだが?)などがクリアされるまでは待つべきではないか。滋賀県の知事などが夏場の限定稼働などと語っているが、そういう問題ではない。より安全性を確保することが必要なのだ。それまでは再稼働はせず、節電を受け入れるしかない。

 推進派が裏でさまざまな画策を進めるのは恐ろしいことだと思う。と同時に、ダメなものはダメと、相手の意見を抹殺する連中の言動(それに同調するマスコミ)もどうかと思う。
 右も左も、嫌だなア。嫌な世の中だなア。

 

座頭市はふたたびつぶやく。
目先が真っ暗になっちまった。 ははは・・・・。目先は端から真っ暗だよ。
(笑うしかないか)

 ついでのひとこと

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。ビスマルクのことばである。
 経験には失敗も含まれる。原発事故は大
失敗の例だろう。ここから学ばないのは愚者にも劣る。グシャグシャや。

 さらにひとこと 座頭市

 座頭市シリーズの主題歌は二つある。一つは「およしなさいよ 無駄なこと・・・」という川内康範作詞のもの。もうひとつは「赤い夕日に さすらいながら・・・」という座頭市子守唄である。
「目先が真っ暗になっちまった」はこの子守唄の中にでてくるセリフである。いわせひろし作詞、曽根幸明作曲。ウエスタン調のいい曲である。

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