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2012年8月30日 (木)

喬太郎ワールド 「死神」の凄さ

 

 前にも書いたが、落語の「死神」は、ローソクの火を人の命にたとえて、火が消えると寿命が尽きるという噺である。原典はグリム童話にある。
 ローソクがどのように消えるかというサゲ(オチ)にはいくつものパターンがあって、消えると言いながら、前のめりに倒れるのがオーソドックスな形である。圓生がつくりあげた仕草オチである。
 死神が強引に吹き消してしまうのが談志バージョン。自分のくしゃみでうっかり消してしまうのは小三治バージョン。くしゃみバージョンは多くの噺家がやっている。
 バースデーケーキのローソクと勘違いをして思わず吹き消してしまう志らくバージョンもある。ハッピーバースデー・トゥー・ユーと歌う場合もある。明るい所に出たので灯は不要とうっかり吹き消してしまうのは志の輔バージョンである。
 快楽亭ブラックは実物のローソクに火を点け、赤フンひとつになってローソクショーを始める。掟破りのSMバージョンである。(誰だ。ブラックにローソクを持たせるなんて!)

以上は前置き。昨夜、柳家喬太郎と田中泯の「死神」をテーマにした落語会(紀伊国屋ホール)に行ってきた。田中泯は前衛舞踏家。タイトルは「落語と踊りの出会う夜」。サブタイトルには「グリム童話 死神の名付け親より」とある。どんな内容になるのかまったくわからない。でも、まあ、泯さんとキョンキョンである。面白いことは間違いなかろう。

開口一番は、柳家喬之進の「替り目」。続いて喬太郎は「彫り師マリリン」。喬太郎ワールドではおなじみのキャピキャピギャルが登場。キャバクラのお嬢さんが彫り師になるという物語である。くどくどしたコメントは避け、先を急ごう。
 中入り後、いよいよ「死神」となる。舞台には、石や枯れ木があり、暗い雰囲気が漂っている。中央に高座(ひどく高い)がある。その足下にはローソクと思われるライトが用意してある。つまり舞台装置のある落語である。
 落語にはふつう舞台装置はない。背景には屏風が置いてある程度である。むかしは舞台装置(大道具)がある落語もよく行われていた。観てはいないのだが、林家正蔵がやっていた。もちろん先代の正蔵(彦六)で、いまは林家正雀がその伝統を引き継いでいる。正蔵は舞台装置のある落語を好んだ。リヤカーでわざわざ大道具を運び入れてやっていたと聞いたことがある。
 まず、田中泯が登場して舞う。舞うというよりパントマイム風といったほうがよい。死神の衣装を着て、不気味な雰囲気を醸し出す。しばらくして喬太郎が高座に上がり「死神」となる。噺の合間にも舞台の隅でときおり舞う。こんなぐあいのコラボ落語である。

喬太郎の「死神」は、他の噺家のやるものとは設定がいくつか異なる。一番違うのは呪文だろうが、これは後で記す。
 貧乏職人に子ができ、死神が名付け親になる。名前は巳の吉。巳の吉は長じて親と同じような職人となるが、貧乏で借金もある。こんな貧乏暮らしならいっそ死のうと思うが、名付け親の死神が登場して、死ぬな、医者になれと言い、医者の心得を教える。このあたりは古典噺とおなじ。
「死神」には病人を治す呪文がある。アジャラカモクレン・ナントカカントカだが、喬太郎は呪文を入れない。呪文のバリエーションが笑わせどころであるが、それを省いて、薬草に置き換える。死の床にある患者の枕元に死神がいたら、薬草を飲ませる。そうすれば元気になる。足元にいたら、匙を投げるしかない。死神のいる場所が枕元か足元かで生死が決まるのだが、通常の「死神」とは、上下が逆になっている(どうでもいいことだが)。以下、「死神」のストーリーをご存じだという前提で話を進めるので、知らない人は、まずネットであらすじを調べていただきたい。(死神 あらすじ で検索できます)
 最後の患者、大店の旦那には足元に死神がいるので治せない。しかし、番頭から何とかしてくれ頼まれる。金も積まれる。死神の隙をついて布団をひっくり返して、すかさず薬草を飲ませることを思いつく。みごと成功。これが最後の患者になるのが普通の「死神」だが、その娘が患うようになり治してくれと頼まれる。こんどはいきなり布団の返し、口移しで娘に薬草を飲ませる。これもうまくいった。
 で、死神が登場。とんでもないことをしてくれたと、巳の吉を洞穴に案内する。ローソクの火がたくさん灯っている。
 死神が言う。お前のローソクはあとわずかで尽きる。おまえは、旦那や娘のローソクと取り替えた。だから、おまえの命は風前の灯火だ。
 巳の吉は命乞いをする。巳の吉は自分の名前を思い出せなくなるほど混乱している。自分が誰だか思い出せない。死神は別のローソクを巳の吉に渡す。うまくそれに火が移るかだが、誰のローソクと交換して灯すのか、交換してよいものかと迷う。巳の吉の優しさか。戸惑ううちに、圓生バージョンのオチとなる。

いやあ、堪能しました。笑いの部分はまったくといっていほどない。途中ちょっとくすぐりをいれる程度。マリリンでいっぱい笑ったから、それで十分。爆笑系のキャバクラ嬢から怪談に出てくる死神まで、芸の幅の広さを感じさせる。もちろん深みも。喬太郎の芸は一級品。並みの噺家ではない。

ついでのひとこと
 

オチはいくつもあると書いた。喬太郎にもいくつものバージョンがあって、自ら吹き消すこともある。ローソクの火が消えた後、最近亡くなった人を追悼することもある。

会場で、松元ヒロを見かけた。松元ヒロはパントマイム出身のスタンダップ芸人。マルセ太郎の弟子。そのマルセ太郎は田中泯を高く評価していた。で、ヒロと泯はつながる。勝手な想像だが。

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