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2012年10月17日 (水)

業の無毒化  兼好さんの落語ワールド

昨夜「この落語家を聴け! 三遊亭兼好」に行ってきた。場所は北沢タウンホール。
この会は、いま、旬といえる落語家の独演会であるが、噺とインタビューで構成されている。
構成と演目をまず紹介しておく。評論家の広瀬和生さんのインタビューが途中で入っている。

開口一番    春風亭一力  「道灌」
噺        三遊亭兼好  「錦の袈裟」
インタビュー  広瀬和生
中入り
噺        三遊亭兼好  「竹の水仙」

 屈託のない笑い。これが兼好さんの持ち味である。とにかく明るくて軽妙。理屈抜きに愉快な気分にさせてくれる。こざかしいテクニックは使わない。ひたすら軽いリズムで笑いの世界に観客を巻き込む。熱狂的なファンもいるが、はじめて聴く人からも評価は高い。
 広瀬和生さんとのインタビューのなかで、業の話が出た。これが興味深かった。
 談志家元は、落語とは業の肯定だと言ったが、業の否定が落語ではないかと兼好さんは言う。反対の意見である。業とは人間にまとわりつく悪癖、たとえば酒癖、淫癖、蕩癖などを指す。これをどうしようもないものとして受け入れるのが談志家元の理解である。そうではなく、落語には悪業を悔い改める演目が多い。これは業の否定ではないかというのだ。
 たしかに人情もの、たとえば「芝浜」を思い浮かべてもよい、あるいは大岡裁きものでもよい、業を肯定してはいない。むしろ、業からの抜け出る物語が多い。それが落語ではないかと言うのだ。それにあたる。なるほどそういう見方もあるのかと感心した。
 では、兼好さんの落語が業の否定かというと、そんな風には感じない。業とは無縁の世界を演じているように思われる。ひたすら明るい笑いの世界。業ということばを用いるならば「業の無毒化」とでもいうべき世界を作っている。

今回、二席目で「竹の水仙」を演じた。「竹の水仙」といえば柳家喬太郎である。喬太郎の「竹の水仙」は得意ネタのひとつ。ひたすら面白く、笑いの完成度も高い。兼好さんはどう演じるのか。
 この噺は左甚五郎ものであるが、「抜け雀」と似ている。旅館の泊まった汚い風体をした男は無一文だった。泊まり賃を竹の彫り物で支払うという物語である。
 旅館の亭主と女将の会話が軽妙である。亭主は代金の取り立てが苦手。女将が代わりに取り立てに行くがたちまち帰ってきてしまう。一度は竜宮城の乙姫さまのよう、二度目はかぐや姫のようと言われて引き返してくる。このあたりの夫婦の掛け合いが実に面白い。テンポが抜群によい。リズミカルで心地よい。これが兼好流である。さらに、ストーリーを複雑にしない。枝葉を払い、単純にして、そのなかに軽妙なトークを織り込む。ある意味、からっぽ。こざかしい理屈は抜きにしてただひたすら愉快な空間を作り上げる。
 これが「業の無毒化」である。毒気なし。兼好さんは健康な笑いの世界をつくっている。

 ということで、愉快な夜でした。

 

来月のこの会は橘家文左衛門。楽しみ。

 その翌月からもすごい。喬太郎、市馬、志らくと続く。チケット、とれるかしら。

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