谷戸について(3) 北条氏康と隠れ谷
9月21日の谷戸の続き。隠れ谷(かくれやと)についてひとことふたこと。
隠れ谷公園(新百合ヶ丘近く)はちっぽけな公園だが、その名の由来は十六世紀中ごろの戦国時代までさかのぼる。
早雲を祖とする小田原北条の三代目、氏康率いる小田原軍と上杉の軍勢が戦ったのは、川崎市麻生区の細山、金程あたりである。隠れ谷は小田原軍の陣地であった。武器や食糧をここに隠していたと言われる。兵士が隠れていたとの説もある。ここを拠点として、一気に上杉軍を蹴散らした。氏康にとっては初陣の勝利であった。勝利に喜び、勝った、勝ったと叫んで上った坂がある。勝ち坂という。
隠れ谷には当時をしのぶものはない。丘の中腹が崩れ、そこが窪地となり、比較的平坦な地形になっていたのではないかと思われる。隠れるには好都合な地形だったかもしれない。勝手な想像であるが・・・。
兵士が隠れたのか、物資を隠したのかどっちという質問をもらったことがある。物資なら「隠し谷」となり、兵士なら「隠れ谷」になるのではないかというわけだ。
隠れ谷なら、兵士が隠れたということになるが、資料がないのでよくはわからない。文法の面からも、自動詞、他動詞とか主体、客体は混同されたりすることが多いので、あてにはできない。
たとえば、舌切り雀というが、ただしくは「舌切られ雀」であるはずだ。おばあさんに舌を切られたわけだから。でも舌切りという。こういうことはよくある。だから正確なことはいえない。
ついでのひとこと
「日本国語大事典」に、おもしろい項目を見つけた。「やち」の項である。
「アイヌ語に沼または泥を意味するヤチという語があるところから、地名に多く見られる「やち」「やと」「やつ」「や」がアイヌ語起源であるとの説(柳田国男)があった。しかし、北海道の地名にこれらの語が使用されていないところから、むしろアイヌ語のヤチの方が日本語からの借用語ではないかと考えられている」
どちらが先かという問題である。どっちでもいいが、アイヌ語にも沼を意味するヤチということばがあることだけでも興味深い。
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