戦後の高度成長は何を消し、何をもたらしたか。 佐野眞一について
昨日、「週刊朝日」の記事についてノンフィクション作家の佐野眞一に触れた。その続き。
佐野さんに初めて会ったのは、正力松太郎を書いた『巨怪伝』が出版された直後である。
知人から佐野さんの話を聴かないかという誘いがあり、ひょこひょこ出掛けていった。そのときの話で印象に残っているのは、「戦後の高度成長とは何だったか。なにを得て、なにを失ったかを生涯のテーマにしたい」という発言であった。
懇談の折、次回作はと、直接問うてみた。宮本常一を採りあげるとのことだった。それが『旅する巨人』である。宮本常一ブームの火付け役になったことはご承知のとおりである。
その後、日本の高度成長のプロトタイプは戦前の満州にあるということで、満州を舞台にした『阿片王 満州の夜と霧』『甘粕正彦 乱心の嚝野』を世に出した。評判になったが、私は首を傾げた。高度成長のプロトタイプを描くという視点では残念ながらその域には達していないと感じた。前者は阿片王の里見甫の周辺の女ばかりを採りあげ、阿片の流通なり満州国との絡みは薄い内容になっている。里見甫なら多少フィクションがあるとしても西木正明の『其の逝く処を知らず 阿片王・里見甫の生涯』のほうが断然興味深い内容になっている。後者の甘粕本はノンフィクション作家の角田房子(一昨年死去)の著作の域を出ていない。
われながら、ちょっとえらそうな批評だと思うけれども、佐野さんへの期待が大きいだけに、満州をもっと掘り下げ、俯瞰してもらいたいのだ。橋下などに関わるよりも、たとえば「岸信介が描いた夢」といったテーマでの評伝を期待したい。
ついでのひとこと
私が好きな佐野の作品は『遠い「やまびこ」』である。心の奥底に響くノンフィクションの傑作である。
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