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2012年11月13日 (火)

冷やでもういっぱい

「らくだ」という古典噺がある。鼻つまみ者のらくだが河豚にあたって死ぬ。長屋は酒盛りになり、最後は焼き場まで棺桶を担いで運ぶという物語である。
 その焼き場とは落合。いまも落合火葬場はある。江戸時代からずっとそこにある。立川談志はそこで火葬となった。去年の11月23日である。弟子に談志の死を知らされたのはそのあとで、だれも落合にはいかなかったとされている。事実は違う。ひとりだけ立ち会った弟子がいる。立川談吉である。最後の弟子。トリビアだけど落語ファンは憶えていて損はない。

それはともかくとして、天皇陛下は火葬を希望されているとのことである。土葬は費用がかかるのでそんなに大仰にしなくてもよいとのご意向。歴代の天皇は土葬されることが続いた。江戸の初め頃までは火葬であったが、どういう訳か知らないけれど、土葬に代わり、以後、昭和天皇まで続いてきた。もし、火葬となれば大変革ということになる。

では、どこの火葬場でということになるが、まさか新設することはないから既存の火葬場が使われることになる。髭の殿下・寛仁親王は今年お亡くなりになった。落合で火葬に伏された。ならば、天皇も同様に落合になると推測される。
 落語の「らくだ」に戻る。このオチはわかりづらい。よっぱらって桶を運んだので、途中でらくだの遺体を落としてしまう。落合に着いてそれに気づく。あわてて戻って捜す。溝に落ちているらくだを見つけ、桶に入れて火葬場に戻るが、これが人違い。酔っ払いの願人坊主だった。いざ焼こうとすると、願人坊主は目覚めてあわてて飛び出してきて、ここはどこだと問う。ここは火屋、冷やでもういっぱい、というのがオチ。だじゃれであるが、わかりづらい。火屋なんてことばは耳に馴染みがない。

談志はこれを変えている。工夫が入る。うまいと思う。そのオチについてはいずれ紹介する。

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