浅草弾左衛門を知らずして江戸は語れない。
先週、差別問題を採りあげた。その続き、江戸時代の被差別問題についてひとことふたこと。
渋谷の東急本店にあるジュンク堂の書棚を眺めていたら、塩見鮮一郎の『浅草弾左衛門』(批評社)が並んでいた。全三巻と資料編。この本は絶版になっていたと思っていたのだけれど、並べている本屋もあるのだとちょっと感動した。ただし、ソフトカバーになった新版は1996年の発売のままで、増刷はされていないようだ。そんなに売れるような本ではないけれど、ちょっとさみしい。並べてあるだけでもよしとすべきか。(文庫では小学館から第一巻の一部がでているが、そのままとなっている)
歴史小説ベストテンを選ぶとしたら、島崎藤村の『夜明け前』や堀和久の『大久保長安』とならんで本書を挙げたい。いい本だと思いますよ、長いけど。
浅草弾左衛門とは、江戸時代、被差別民の頭領として関東一円を支配した人物である。皮革や灯芯の製造・専売などの権利を与えられる一方、江戸の町の清掃や非人の支配までも請け負った。差別される立場にあったが、特権も有していたのである。その資金力は大名並みと言われた。この本では12代、13代目の弾左衛門を描く。最後の弾左衛門は幕末から明治を生きた。15代将軍・徳川慶喜の生涯と重なる。
弾左衛門以下65名はすでに幕末、幕府から身分解放をされていた。あまり知られていないので記しておく。賎民解放令が公布されたのは明治4年になってからである。ただし、これは形式ばかりで、差別は続いた。皮革の専売特権もはく奪されたので、明治以降の方がかえって生活は苦しくなった。このあたりのことは、同じ塩見鮮一郎の『解放令の明治維新』(河出ブックス)に詳しい。入手しやすいし、分かりやすい。格好のテキストになっている。
こまかなことは省くが、ことは簡単ではない。急激な変化はかえって混乱を招く。それが最後の弾左衛門の苦悩でもあった。
塩見は、<近代における「解放」が「弾圧」の謂(イイ)であった>とコメントしている。これは、リンカーンの奴隷解放に通じる。奴隷制度はなくなったものの差別の実態はかわらず、真の解放は戦後のマルティン・ルーサー・キングらの公民権運動を待つしかなかった。ロシアの農奴解放も、かえって農奴を苦しめ、農業を後退させることになり、ロシア革命の遠因になった。歴史の年表を眺め、無邪気に奴隷解放を喜んでいただけでは、歴史の実態はわからないということである。
ところで、なぜ差別が始まったかという問題であるが、これは難問である。始まりはともかくとして仏教思想がこれを強めたことは確かである。仏教は殺生を禁じた。それゆえ仏教社会では、動物の生死にかかわる職業は蔑まれた。その頂点が5代将軍綱吉の「生類憐みの令」である。犬どころか蚊も殺してはならぬといった拡大解釈もされ、動物の生死を扱う職業に対して差別はさらに強まった。
岩波文庫の『被差別部落千年史』には、仏教に対する恨み辛みが記載されている。激しく仏教・仏徒を批判している。ちょいとそのあたりを引用。
「穢多に対する極端なる賎視は、その穢物に触れ、あるいは殺生、肉食を行なった点から、仏者ならびに両部神道家の忌む所となったのに因する。穢多を侮蔑する感情を扇動して一つの社会的規範たらしめたのは、悉く仏教の罪である。」
「当時の支配階級の走狗になり終わった仏徒は、社会の最下層に呻吟する下民を迫害して、もって支配階級に媚びていたものである。」
激しでしょ。
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