暮れの便り 独生独死
旦那寺から手紙がきた。暮れの挨拶である。挨拶とはいえ、振替用紙も入っているのでお布施の催促である。越年の祈祷法要をするので幾ばくかを包めと言うことだ。日頃の無沙汰もあり、幾ばくかを振り込む。恒例となっている。
便りには「大無量寿経」というお経の一部を解説する下りがあった。「独生独死、独去独来」(ドクショウドクシ ドッコドクライ)。人間は生れてくるのもひとり、死ぬのもひとりである。この世に生を受けた以上、苦悩があってもひとりで乗り越えていかなくてはいかない。だれも身代わりになってはくれない。そんな意味らしい。
へー、お釈迦さまも私と同じようなことを言っていると感心した。私は、親不孝と孤独死は戦後民主主義の成果だと本コラムで書いた。孤独死というものは当たり前のことだ。恐れるに足りないし、それほど深刻に思うな。孤独死は自由であることとの引き換えなのだ。自由に振る舞まったあげく、最期は家族や知人に看取られながら死ぬなんてのは図々しい。それを大袈裟に、深刻そうに問題にするのは見当違いじゃないか。
お釈迦さまと意見が一致したということだが、孤独死なんてのはむかしからあったし、当たり前のこととして受け入れられていたということだろう。
むかしからあったということで思い出したのは江戸時代の往来手形(道中手形)である。域外に旅をするには許可がいった。村役人や家主からその証としとして出されたのが往来手形である。いまならパスポートにあたる。どんなことが書かれていたか。一般的には、日が暮れたら宿を用意してやってほしい、もし当人が亡くなったらそちらの作法で始末してほしい、亡くなったことは故郷に知らせなくてもよいと書かれていた。
あっさりしたものである。旅先での孤独死などざらにあることだ。ことさら知らせてくれなくてもよいと言い切っているあたりがすごい。独生独死、独去独来は、江戸時代には当然のこととして受け入れられていたということだ。
とはいえ、まったく無縁というわけにはいかない。最期は介護されることになる。たとえ孤独死であっても、他人の世話になる。腐乱死体で発見なんてことになったら、他人様に迷惑をかけることになる。ご近所や行政と最低限の付き合いはしておくべきだろう。それが生きていることのマナーである。
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親不孝と孤独死が戦後民主主義の成果とは面白いですね。一所懸命と土地に執着し、家の存続を優先してきた日本では、後継ぎがいないのが最大の親不孝とされてきましたっけ。仏教もいつしか葬式仏教となり、感性に訴えやすい無常をいうのがせいぜいです。インドのファテプル・シークリーに遺る城門碑文にこんな言葉があります。 この世は橋である/渡っていきなさい/しかしそこに/棲家を建ててはならない こんな風に世を去りたいものです。
投稿: けやき | 2012年12月21日 (金) 16時10分
けやきさん コメントありがとうございます。
インドの城門碑文は知りませんでした。
人間はこの世という地を通過する旅人に過ぎない
ということでしょう。
すごい懐かしいことばでいうと、「連帯を求めて孤独を
おそれず」ですね。
投稿: 放心 | 2012年12月21日 (金) 19時53分