運勢 青雲の志 早くも白髪の愚痴となる
東京新聞(中日新聞)朝刊の「運勢」欄を執筆していた松雲庵主が8日に亡くなった。今朝の「応答室だより」にそのあたりのことが書かれている。
中日新聞の運勢欄が始まったのは1953年。東京新聞では1964年から。以降、松雲庵主はひとりで書き続けてきた。60年にも及ぶ。新聞の連載でこれだけ長く続けてきた例はないのではないか。松雲庵主は愛知県在住の禅僧で、それ以上のことはすべて秘密としてきた。どんな方がお書きになっているのかずっと気になっていたのだが、当人の希望でもあり、不明のままとなる。
朝、新聞を読む際、ちらりと運勢欄の自分の干支に眼をやるのが習慣となっていた。機知に富む一行詩のような味わいがあって、ニタリ笑うこともあった。印象に残っているのを一つ。30年ぐらい前のものだ。
青雲の志早くも白髪の愚痴となる。自戒すべし
うまいものである。運勢というより箴言である。それにしてもオレはなぜこの一つだけを記憶しているのだろうか。それはどうでもよい。
こうした箴言のような運勢を、毎日、干支の数だけ書き続けた。ファンも多い。山口瞳もこの欄を読むのが楽しみだということを、これも長く続いた週刊新潮のエッセイ「男性自身」のなかでしばしば記している。
内容は、彼と我を対比して自戒を求めるものや励ますものが多かった。それを松雲流のレトリックでくるんだ。
最終となった8日の欄を、記念にと切りぬいた。その中からいくつかを紹介しておく。「ね年 人生は勝つ事を求めるより負ける事ありて優れた人生がある」「うし年 不幸に苦しんだ者が真の幸福を知る。何でもない処に幸福あり」
彼と我を対比するものでは次のようなものがある。「たつ年 他人の悪は見えるが自分の悪は見えぬ。積もれば大悪」「とり年 他力を説きつつ自力を貫いている悲しさに目覚め吉となる」「いぬ年 怒る心は闇となり謝る心に光が射す」「い年 こちらが向こうを馬鹿にすれば向こうがこちらを馬鹿にする」
一週間ほど休載し、15日から新たな執筆者を迎えて「運勢」は再開される。松風庵主。こちらも名は隠しての登場である。同じく禅僧で松雲庵主の近親者か弟子のような気がするが、詮索することもあるまい。
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