鯉昇・文左衛門 長講たっぷりの会
「鯉昇・文左衛門 長講たっぷりの会」に行ってきた。先週の土曜のことで、ブログへの掲載が遅れた。タイトルどおり、大ネタを演る。演目は予め決まっている。
橘家文左衛門 居残り佐平次
瀧川鯉昇 御神酒徳利
文左衛門は「居残り」のサゲを変えたと語っていた。どのように変えたか、それを聴きたかった。「居残り」は旦那の羽織までちゃっかりもらい、旦那が「わたしをおこわにかけた(陥れた)」と言うと、佐平次が「へえ、あなたのおツムがごま塩で」と返すのが普通のパターンだが、おこわがわかりにくい。そこを変えた。
前半はふつう。イノどん(佐平次)がよいしょの本領を発揮するあたりから文左衛門らしくなる。佐平次が肺を患っているという型もあるが、そうはせず、元気で健康なイノどんにしている。
で、サゲであるが、映画「幕末太陽傳」と同様の時代設定となる。ペリー来航10年目というから幕末も幕末。異国に旅立って、向こうで居残り稼業を目論むという物語にした。なるほど、こういうストーリーも成り立つか。文左衛門流の解釈である。
映画のように、最後は「お見立て」の墓場のシーンにして逃げ出すのも一興だが、それだと噺が長くなりすぎてしまう。異国に行くパターンをさらに洗練すれば文左衛門のいちばんの得意ネタになるかもしれない。
鯉昇は遠赤外線のような温もりをもったホンワカ系の噺家である。マクラで、来月還暦となるが、今月も3回、電車で座席を譲られたと笑わせる。たしかに風貌は70歳を過ぎている感じ。老け顔の分、熟成した味わいを醸し出している。
「御神酒徳利」は、消えた御神酒徳利を算盤占いで見つけ出すのが発端となる。自分が片付けたのを忘れていただけで占いが当たったわけではない。それが、占いが当たるということで、鴻池の番頭から大阪に行って主人の娘の病気を治してほしいと頼まれる。そこから大阪への占いの旅立ちとなる。窮地もあるが、最後は万事うまくいくというおめでたい噺である。
鯉昇はオーソドックスに演る。途中途中で、鯉昇らしいユーモアの仕込みがあって、なんともいえないホンワカさが漂ってくる。このあたり、ことばで表現するには限界がある。実際の高座を観てもらうしかない。
3月は、鯉昇の落語会をふたつ予定している。どんな演目となるのか、楽しみである。
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