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2013年2月23日 (土)

「ゼロ・ダーク・サーティ」  あとは野となれ テロとなれ

「ゼロ・ダーク・サーティ」を観てきた。9.11同時多発テロの首謀者・ビンラディンの居所をつきとめて襲撃するまでをドキュメンタリータッチで描いた映画である。監督は「ハート・ロッカー」で緊迫した映像をつくったキャスリーン・ビグロー。女性とは思えぬハードタッチである。手に汗握るシーンがこの映画でも映し出される。
 冒頭、9.11の被害者たちの死の直前の音声(携帯電話)が流れる。CIAはビンラディンの居所をつきとめるべく、捕まえたアルカイダメンバーを拷問する。執拗な水責めなどで口を割らせるシーンが続く。厳しい追及にもかかわらず、ビンラディンの行方は不明。CIAの女性分析官・マヤを中心とするビンラディン追及メンバーにあせりが生じる。さらに、自爆テロでメンバーが巻き添えを食い犠牲となる。メンバーはCIA内部でも窮地に陥る。
 関係者への丁寧な取材によってつくられたそうで、一見、再現フィルムのように思われるが、女性を主人公にした部分はフィクションである。マヤ分析官がビンラディンの居所をなんとしてでもつきとめようとする執念を描いている。
 この映画の見どころは、ビンラディンが潜むパキスタンの住居を攻撃し、ビンラディンを殺害するシーンである。ステレス・アパッチ(ヘリ)が、深夜(タイトルにあるように0時30分)、暗視眼鏡を装備した精鋭部隊を送り届け、住まいを急襲する。
 映像の緊迫度もあるが、音楽(アレクサンドル・デスプラ。イランアメリカ大使館人質脱出事件を描いた「アルゴ」でも音楽を担当している)もさらに場面を盛り上げる。
 ビンラディン殺害については批判がある。パキスタン政府を無視したとか、殺害すべきではなかったとか、殺害はさらなるテロを生むだけだとか、さまざまな意見があったが、アメリカしてみれば、ただビンラディン憎しだけである。ビンラディンのタマさえとれば、あとは野となれテロとなれである。政治だの外交だの国際関係だのあるけれど、それはそれ、まずはビンラディンをという執念が伝わってくる映画である。

イスラム原理主義の過激派と、ネオ・コンサーバティブの果てしなき諍いにはうんざりするけれど、映画を観ているときは、そんなことは忘れて、迫力ある映像に、スゲエ!と喚声をあげたくなる。

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