笑独演会 モンペって何よ
立川談笑独演会に行ってきた。先週の金曜日だけど、ブログに載せるのを忘れていて、今日になった。
談笑の独演会は久しぶりである。ひょっとすると今年初めてかもしれない。今回は「新刊談笑」、新作落語を演る会である。
演目は次のとおり。終演後に今日の演目をチェックする(写真を撮る)人が多かったのは、古典噺と違ってタイトルがわからないから。私もその口である。
猫の女郎、河内山宗俊、モンスター・ハンター の三席。
談笑の落語はありきたりを嫌う。古典を古典らしく演じるのではなく、古典の物語がもつ矛盾、わかりにくさをどうすればわかりやすく、面白くできるかを追究して、改作する。
改作ではなくほとんど新作と思われるものもある。たとえば「シャブ浜」。ただし正統の「芝浜」もやる。古典噺の「芝浜」には矛盾点が多い。なぜ仕事をしない勝五郎が表店を持つほど稼いだのか、ふつうは無理じゃん。酒びたりの男が簡単に酒を断てるのか、無理じゃん。その矛盾点を、なるほどそれならありうるというストーリーに作りかえる。談笑の「芝浜」は説得力がある。後世に残る「新・芝浜」の名作だと断言してもいい。
今回の新作は「モンスター・ハンター」。クラスメイトを殴った小学生の父親が学校に詫びを入れにいくというストーリー。教師は親が学校に来るというので抗議にくるものだと勘違いをし、副校長や校長に相談する。これはモンペにちがいないと教育委員会に行って応対の指導を受けるように教師に伝える。モンペとはモンスター・ペェァレントのことである。
父親は茶髪にピアスという風貌だが、まっとうな男で、モンペではない。教師は教育委員会で教わったように木で鼻をくくったような応対をする。言質をとられないような話法である。さらに暴力沙汰になったときのために周到にビデオ映像も残しておこうとする。
重松清の小説の世界のようで、父親はテレビでやった『とんび』の父親を連想させる。こういう設定だと、志の輔なら「親の顔」になる。とぼけたギャグを繰り返し大爆笑となるのだが、談笑は違う世界を描く。
副校長や校長の責任逃れぶりを描く。耳かき一杯ほどの毒も入れて小役人的な権力者をからかい、ブラックな笑いの方向に持っていく。
このブラックな方向を評価するかどうかが談笑ファンになるかどうかの岐路になる。
ありきたりはつまらないと思うなら、ぜひ談笑のライブに出掛けてもらいたい。洗練されてはいるが消毒されたような落語がつまらないと思ったら、つまり亡くなった談志の毒を味わいたいのなら、談笑のライブである。
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