ヒロシマ原爆資料館 見たくないけど・・・・
原爆資料館が全館改修される。展示内容も変更され、被爆者の遺品や原爆によって変形した瓦や壁などの実物が中心となり、被爆当時の悲惨な状況を再現した人形は撤去されるという。これに反対する意見が多数寄せられているとのことである。
以前、このことについては書いたことがある。むかし、資料館で見た被爆再現人形は身の毛もよだつほど恐ろしくて、気分が悪くなった。おばけ屋敷の比ではない。震えあがるほどの恐怖をいだいた。
その生々しさゆえに、資料館には「怖いので見ないで通れる順路はないか」との問い合わせが寄せられていたという。まあ、そうだろうな。この気持はよくわかる。
二度と資料館には行きたくない。でも、いきなり撤去となるとそれでいいのかなあとも思う。一度は見ておくべきだろう。とりわけ、核のスイッチを握っているオバマさんとか周さんとか金さんにはぜひ見てもらいたい。
人に似せた人形はどのようなものあっても、怖い。被爆人形にかかわらず怖い。蝋人形館にある人物像はみな不気味に映る。人間そっくりのメイドロボットの試作品を見たことがあるが、人間に似ている分、異様である。不気味なオーラが漂っている。
なぜそう感じるのか。人間には、それが人間ではない、異形な物体であることを瞬時に察知するセンサーを身につけているからではないか。なにか変だ、警戒しろという信号が視覚神経から脳に伝わって、不気味モードに切り替わる。だから、似れば似るほど不気味なのである。
ちょっと下品な話題になることをお許しいただきたいのだが、ダッチワイフは人間づらをしてはいるが、けっして人間そっくりには作っていない。おもちゃのように作ってある。あれは、不気味さを回避するために、わざとアニメのような顔にしているのだと思う。念のために言っておくけれど、私は一度もダッチワイフのお世話になったことはありません。
藤原紀香の顔はダッチワイフそっくりという悪口があったけれど、藤原紀香そっくりのダッチワイフができたとしても、売れないのじゃないかな。人間そっくりのダッチワイフは気味が悪くて抱く気にはならない。そう思う。
原爆資料館の話題に戻ると、被爆再現人形は残すものの、誰でも見ることができるのではなく、見たい人だけ、一度も見たことがない人は見ることができるようにすればいい。つまり見学コースを分けて、ハードコースは、再現人形のあるコースにする。ソフトコースは溶けたガラスとか写真中心のコースにする。
ならば、もう一度、行ってもよい。
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