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2013年6月13日 (木)

説明責任

 なだいなだが亡くなった。
「月刊ちくま」で「人間、とりあえず主義」の連載をしていた。最近の号はこんな書き出しだった。
「二つ目のがんを告知されてから、何でもいってやろうという解放された気分になった。怖いものがなくなった。これからは遠慮なくいう」
 なださんは以前から言いたいことを言っていたように思っていたのだが、抑えていた、まだ言い足りなかったということか。
 で、その号での言いたいことは、芥川賞選考批判。黒田夏子の「abさんご」に疑問を投げつける。元東大総長の蓮實重彦が激賞しているけれど、どこがよいのかわからない。「芥川賞の選考委員は、日本の現代文学を代表しているような人々だ。その人たちに、どこがよいのか説明をしてもらいたい。こういうことこそ説明責任という言葉がふさわしい」。選考委員たちの選評は納得できるようなものはなかったと書いている。
 わたしも同様の意見。この小説を読み始めたが途中でギブアップした。どこがおもしろいというのか、さっぱりわからない。実験的というけれど斬新とはいえない。まあ、つまらん小説である。

なぜ、こんなことを持ち出したかというと「群像」の最新号で蓮見重彦が連載する映画評で「説明責任」ということを書いているからだ。
 蓮見は黒沢清監督の「リアル 完全なる首長竜の一日」を採りあげ、一場面を細かく分析して、「説明責任」など考えていなかった黒沢がこの場面で「説明責任」を果たしているといったようなことを書いている。本屋で立ち読みしただけで、しっかり読み込んだわけではないけれど、何を言わんとしているのかわからない。わかりやすいとか監督の思いがきちんと表明されていると書くならば、それはそれでわからないでもないけれど。
 なだいなだの文章に触発され、説明責任などという表現を持ち出したのだろうが、首を傾げるばかりだ。 蓮見が書く文章は難解で、読む者を煙に巻く。煙に巻くのを楽しんでいるきらいがある。なんてたって東大のソーチョーまでになったインテリである。皆、その見解を尊重しているようだが、文章は悪文で、読みづらい。自らの文章についての説明責任が蓮見にはあると思う。
 今年のセンター試験で小林秀雄の文章が出題され、出来が悪かったという。受験生の読解能力を憂える意見よりも小林秀雄のわけのわからん文章を出題した側が悪いという意見が多くあった。健全な見解である。
 来年の出題に蓮見の文章を採り上げるなんてことがないようにしてもらいたい。

 で、説明責任であるが、まさにきちんと果たしてもらいたい事件(不祥事)がもちあがった。プロ野球の統一球問題である。せこいやり方であきれる。
 批判はヒトに任せる。ギャグを思いついた。いくつも思いついたが、そのひとつ。
 例のボールを持って、ジロさん口調で「飛びます! 飛びます!」
 ラミレスあたりにやってもらいたい。

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