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2013年8月29日 (木)

ふたたび「真景累ケ淵」  初音家左橋

 

 先般、「真景累ケ淵」について書いた。

 実は、きのうもこの噺を聴いた。「豊志賀の死」。いまどき「真景累ケ淵」を好んで聴く人間はたぶん少ないとおもう。

演者は初音家左橋。川崎の多摩区在住の中堅どころというかベテランの域にある噺家である。毎月、桂米多朗と交互で「しんゆり寄席」(アルテリオ小劇場)に出ている。

「真景累ケ淵」について復習しておく。

旗本・深見新左衛門が按摩の宗悦を殺す。これが発端となる。新左衛門には新五郎と新吉という子がいた。宗悦には豊志賀とお園という娘がいた。新五郎はお園に惚れるが過って殺してしまう。 新吉は自分の出自は知らないまま、深見家の門番であった勘蔵に育てられる。

二十一歳になり、富本の師匠である豊志賀のもとで下働きをするうちに、豊志賀といい仲になる。もちろん互いに出自を知らない。豊志賀は頬に腫物ができる。新吉は看病するが、豊志賀は新吉の心が自分から離れていくのを気に病む。弟子にお久がいる。豊志賀は新吉がお久とできていると思い込む。そして、新吉を恨んで自殺してしまう。遺書には新吉の女、七人まで呪い殺すとあった。

ここから新吉にはお累、お賤などの女がからんでいく。お賤の旦那である惣右衛門とその息子の惣次郎、惣吉のストーリーもある。最後に、新吉はお賤が異母兄弟であることを知らされて、そして・・・となるややこしい物語である。

 

 左橋は、枝葉を取っ払い、新吉と豊志賀を中心とした物語にする。上記のような物語であることは一切触れない。まあ、そのほうがわかりやすい。三十九歳の年増の豊志賀が若い新吉を引き留めておこうとする気持ちをどう演じるかがこの噺の観どころ・聴きどころとなる。豊志賀の切ない気持ち、新吉にとってはうざったいと映るほどの深情けの表現のしかたである。

左橋は、片瞼が腫れた豊志賀の姿をうまく演じていた。熱演であった。左橋の代表的な得意ネタになるかもしれない。

 

 このほか、三遊亭金時が「鰻の幇間」を、林家彦丸が「権助芝居」を演じた。

 

いまどき「真景累ケ淵」を通しで聴くとか、「豊志賀」を何度も聴くなんてのは、酔狂というか、アホの極みかもしれない。何がおもしろいのよとヒトから言われる。まあ、いいんじゃないの。個人の好みなんだから。

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コメント

「真景累ヶ淵」は聞いたことはもちろん読んでいませんが、「牡丹燈籠」を昔読んで、ひどく感心したことを思い出します。これを円朝が語るのを、じかに聞くことができた人たちが羨ましくなります。それにしても「牡丹燈籠」といい、「半七捕物帳」といい、江戸の市井の人たちの暮らしが見事に描き出されているのは、明治の人の江戸を惜しむ気持ちがあったればこそでしょうね。話は変わりますが、明治の人々を描いた落語の傑作といえば、漱石の「猫」を置いてないように思います。苦沙彌先生や美学者迷亭、寒月君らのやりとりは、滑稽で風刺がきいて哀愁が漂っていますから、何度読んでも飽きませんね。寄席には行けませんが、まあ「猫」でも読んでいればいいかとも思います。ところで昭和の人々を描いた落語の傑作といえばなんでしょう。

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