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2013年8月25日 (日)

被災地 いわきに行ってきた。

 

 福島県のいわき市に行ってきた。二年ぶりである。

 いわき市の久之浜。市の最北部の町。第一原発から30キロぐらいのところにある。原発事故直後は立入禁止になるかならないかの境目であった。確かな数字は忘れたが、この町だけで津波で何十人が亡くなっている。

 二年前に行ったときには、堤防には車がひっくり返っていたり、瓦礫の山であったが、きれいに片づけられていた。ただし、津波被害にあったところは緑地になるということで、流された家屋があったところは、更地のままだった。

みな押し流された中で、神社(秋義神社)のちいさな祠だけがぽつりと残されていたのが印象に残っている。その祠はいまも残されている。

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写真はその祠である。鳥居は流されたが、震災後、建て直された。左に見えるは殿上岬。崖の緑がほとんどなくなっている。揺れで崩落した。震災前と比べ、土が剥き出しになっている部分が広がった。

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 久之浜港には漁船がいっぱい停泊していた。ただし、漁は休業状態にある。試験操業も汚染水漏れ事故で延期された。漁師も手持ち無沙汰だろう。農業のほうは、ことしから米づくりが再開した。線量はもちろんチェックされるので問題はなかろうが、はたして売れるかどうか。おそらく安値で取引されることになるだろう。

二年前は、常磐線は久ノ浜駅までしか開通していなかった。今は広野駅まで開通している。その先の楢葉まで行ってみた。ここにはJビレッジがある。サッカーのナショナルトレーニングセンターで、夏は合宿でにぎわっていたが、いまは原発事故対応拠点となっていることはご存じのとおりである。

 サッカー場には、除染作業の資材などが置かれ、サッカー場の面影はない。あと何年ぐらい続くのか。

  ところどころで除染作業を見かけた。どのぐらい除染は進んでいるのかわからないが、いったん除染しても、雨が振るとまた線量はあがってしまうという。むなしい作業のようにも思われる。何十年後も、おなじような状態が続いているのかもしれない。

 Jビレッシよりさらに北にある天神岬のキャンプ場まで行ってきた。震災前ならキャンプでにぎわう時期だが人っ子一人いない。雑草が生えているだけ。テニスコートは汚染廃棄物置き場になっていた。

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