「オース!バタヤン」 昭和歌謡だ!
アルテリオ映像館(新百合ヶ丘)で「オ―ス!バタヤン」を観てきた。五月に封切られたときは見逃してしまった。やはり観ておきたい映画である。近所で上映されるのはうれしい。
バタヤン(田端義夫)を描いたドキュメンタリー映画である。バタヤンは今年四月九十四歳で亡くなった。ずいぶん長生きをした。歌手生命も長かった。戦前からの歌手でこれだけ長持ちした歌手は他にはいない。
映画は、2006年、田端が第二の故郷と言う大阪・鶴橋の小学校で開かれたコンサートを軸として、過去の映像、ファンや関係者のインタビューで構成されている。
冒頭に談志が登場。談志は昭和歌謡の大ファンとして知られている。もちろんバタヤンについても詳しい。続いて白木みのる。鶴橋でのステージの司会は浜村淳である。と、ここまで書いて、話題についてこられる人と、バタヤンも白木も浜村淳も知らない人に分かれることに気づいた。
知らないのはしょうがない。懐かしいと思う人だけがわかる世界で、一世を風靡したとはいえ、五十年後、AKBを語るようなものである。だから、この文章も高齢者向け。このコンサートに集う人も、この映画の観客も多くは後期高齢者であった。
バタヤンは大正の生まれ。私の父親と同世代である。バタヤンは右目を失明していたので兵隊にはとられなかったが、戦地には行った。北支(中国北部)に慰問に行ったときの話をしていた。ああ、そうか、ひょっとしたら、オヤジはその歌を戦場で聴いていたのかもしれないと気づいた。
バタヤンは明るかった。マイクの前に立つと、いつも元気よく、オース!と挨拶した。あの元気さが、戦後のひとつの象徴でもあった。ヒット曲は数々あるが、ひとつ挙げるとすると「大利根月夜」になる。「あれごらんと 指さす影に 利根の流れを ながれ月・・・・」。この原稿、「大利根月夜」を聴きながら書いている。
面白かったのは、マドロススタイルのバタヤンファンが何人も来ていたことだ。ステージでも紹介されていた。扮装をまねて歌う矢沢永吉ファンがいる。あれと同じである。
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