「不知火検校」 歌舞伎と映画
きのう、歌舞伎に行ってきた。歌舞伎などめったに観ないが、何十年ぶりに「不知火検校」をやるという。これはぜひ観てみたいと思った次第である。
「不知火検校」は映画で観たことがある。座頭が悪の限りを尽くして検校にのしあがるという物語。勝新太郎主演作品で、座頭市以前、つまり座頭市の原型がここにある。なかなか面白かった。
のちにテレビドラマ化された。タイトルは「悪一代」に変わっていた。映画では座頭は杉の市だったが、テレビでは徳の市という名であった。映画よりもテレビの方がよくできていた。勝新の徳の市は、まるで歌舞伎のような(もともと歌舞伎なんだけど)けれんたっぷりの演技がよかった。それ以上に、徳の市を慕う知恵遅れ(差別語?)の少年を演じた伊丹十三がすごかった。怪演ぶりが印象に残っている。
さて、歌舞伎だが、座頭。富の市は松本幸四郎が演じた。歌舞伎は見慣れないと難解なものが多いが、これは分かりやすかった。
手癖が悪く、人を殺して金を奪い、時には騙りで女を犯し、ついには師である初代・不知火検校を亡き者にして、二代目にのしあがる。物語の展開は早く、テンポもよい。舞台展開もリズム感があって、途中だれることなく、気持ちよく最後まで観ることができた。
映画と違うところは、最初の殺しの場面である。映画では、殺しを盗み見ていた生首の次郎(橋之助)から受け取った掛守り(お守りを入れたポシェットね)を死体の手に握らせておくシーンがある。これがのちに生首の次郎に嫌疑がかかる伏線になるのだが、芝居ではこのシーンはない。
映画では生首の次郎は別の場面で捕えられるのだが、芝居では、最後に一緒に捕まることになる。この点では映画のほうが物語に深みがあるのだが、まあ、どうでもいいことかもしれない。
さて、ラストシーン。検校はお縄になる。曳かれていくときの最後のセリフ。これがいい。今日で千秋楽だから、記しても構わないだろう。
生首の次郎にむかって言う。「俺ァ、地獄で待ってるぜ」。
思い出していただきたい。映画「許されざる者」のセリフとよく似ているではないか。悪の限りを尽くした男のセリフとしてふさわしい。
もう一度記しておく。
「俺ァ、地獄で待ってるぜ」
高麗屋!
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