青大将の臨月 猫と寅
けやきさんから、「吾輩は猫である」は明治の人々を描いた落語の傑作というコメントがあった。
たしかにそう。漱石は寄席にはけっこう通っていた。小さん(三代目)を評価している。落語的素養が作品にも色濃く出ている。
苦沙彌先生は多趣味であれこれ手習いをする。上達はしない。義太夫も習うが、下手。これは「寝床」という落語を連想させる。泥棒の被害に遭う場面がある。明らかに「出来心」(花色木綿)が下敷きになっている。そのあたりを読み返してみた。
どのあたりかというと、第五章。
落語の「出来心」は、泥棒に入られたのをいいことに、布団から帯まで盗まれたことにしてしまう。それを床下で聞いていた泥棒が「冗談じゃねえ」と名乗りをあげる噺である。
「出来心」は別名を「花色木綿」という。これがよくわからない。調べてみた。花色とはツユクサの色のこと。花というからピンクを連想するけれどそうではない。ツユクサの別名である縹(はなだ)が変化したものである。ハナダイロが詰まって花色となった。着物や帯の裏地が藍色だったから、花色木綿という。
漱石のほうの泥棒は、山芋の箱を縮緬の兵児帯で背中に背負い、子供のちゃんちゃんをメリヤスの股引の中に押し込んで、主人の紬の上着や細君の帯や羽織や襦袢を持ってく。股引の形容がおもしろい。
「主人のめり安(ヤス)の股引(モモヒキ)の中へ押し込むと、股のあたりが丸く膨れて青大将が蛙を飲んだような――あるいは青大将の臨月と云う方がよく形容し得るかも知れん。とにかく変な恰好になった。」
落語で、青大将の臨月などと言えば、大爆笑になるだろう。改めて読み返すと、その面白さがさらに伝わってくる。
さて、猫に匹敵する昭和の落語は何かという問いかけがあった。これは即答できる。
「男はつらいよ フーテンの寅さん」である。寅さんは典型的な落語的人物である。
寅さんの最期はご存じだろうか。映画ではなくテレビバージョンで、奄美でハブに咬まれて死ぬ。これが、寅さん、死んじゃイヤ! という反響となり、映画で復活することになった。
「吾輩は猫である」の猫は、ビールを飲んでよっぱらい、水がめに落ちて死ぬ。猫と寅さんの死に方は似ている。
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