あの日リオで眺めた月が 今日は都の空照らす
2020年のオリンピックとパラリンピックの開催地が東京に決まった。喜ばしいことである。
前評判は断然優位であったが、選考日が近づくにつれ、苦戦の観測に変わっていった。汚染水問題に対する懸念とか、二位三位連合がどうのこうのとか、まるで敗戦の言いわけのような見解も多く見受けられた。結果は、圧勝であった。
なぜ喜ばしいか。経済効果が何兆円とかという意見は下衆っぽい。そんな理由なら開催しなくてもよい。経済効果を目論んで開催したとしたら、ろくなオリンピックにはならないと思う。開催意義はもっと別のところにある。
サッカーの元日本代表チームの監督・オシムは1964年の東京オリンピックにユーゴスラビアの代表選手として来日している。その時の体験を次のように語っている。
あらゆることに時間に正確だった。新幹線のダイアも選手村での生活も時間通りだった。人々のホスピタリティー、温かさを感じた。自分のことは後回しにして、われわれに親切にしてくれた。だから、後年、日本での仕事を引き受けた。そうでなければ、遠く離れた国で長い間仕事をしようとは思わなかっただろう。
オリンピック開催の目的は、オシムのこのことばに象徴される。日本に来た人に、日本の良さを知ってもらうことが第一義である。経済効果などは副次的なことである。
日本の評判は東アジアでは芳しくない。かつて他国に侵略したことを反省していないのではないかと思われている。そんなことはない。これまで何度も謝罪し、丁寧に対処してきた。ただし、その声はきちんと届いていない。政府首脳が靖国を参拝すれば、その非難の声で掻き消されてしまっている。
反省に基づいてこれだけ平和への貢献をしているのに、そうした非難の声はお門違いで冗談じゃないと言いたいところであるけれど、挑発に乗ってはいけない。そこはぐっと抑えて、淡々と平和への貢献を続けることが肝心である。
オリンピックにやってくる選手や観光客に丁寧に応対すればよい。日本の良さを知ってもらうようにすればよい。好印象を抱いてもらえば、日本への観光客もさらに増えるだろう。日本の評価もさらにあがる。
オリンピックは7年後であるが、その先にもつながるってことを心に留めておきたい。
ということで、思いがけず志の高い文章になってしまった。似合わない? まあ、そうか。
とりあえずは、ちょいと早いけど、新・東京五輪音頭を踊ろう。
あの日 リオで眺めた月が 今日は都の空照らす
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