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2013年9月16日 (月)

「許されざる者」  地獄で待つ

 

 クリント・イーストウッドの「許されざる者」は20年ほど前の映画である。細かな部分は忘れてしまったけれど、保安官(ジーン・ハックマン)の最期のセルフは鮮明に憶えている。「地獄で待ってるぜ」。

イーストウッドにむかって言う。オレは地獄に落ちる。お前も地獄に落ちるだろう(天国には行けないよ)。先に地獄で待ってるぜということである。このセリフがキモである。この映画のテーマを象徴している。と、断定してもよいかどうかはわからない。個人的な見解である。

そのセリフが今回の李相日監督のリメイク版で使われるのかどうか、関心はその一点にあった。

舞台は明治初めごろの北海道。幕末に“人斬り十兵衛”と恐れられた十兵衛(渡辺謙)は、人里離れた海岸で二人の子供と暮らしている。妻は三年前に亡くなった。極貧の生活である。そこにむかしの仲間・金吾(柄本明 イーストウッド版ではモーガン・フリーマンの役どころ)が賞金稼ぎをしないかとやってくる。いったんは断るが、貧しい生活ゆえ、金吾の誘いに乗る。殺しの相手は、娼婦を切りつけた男二人。依頼人は娼婦仲間であった。

お目当ての二人のいる開拓部落は、十兵衛をよく知っている大石(佐藤浩市)が役人(警察署長?)として町を絶対的に牛耳っていた。住民や立ち入る者から武器を取りあげていた。
 リメイク版であるが、ほとんどイーストウッド版と設定は同じ。西部を北海道の開拓時代に置き換えただけ。登場する人物も相似形である。

あらすじも同様である。例の最期のセリフがどうだったか。これは言いたいけれど、ネタバレになってしまうので言うわけにはいかない。ちょっと変えられていたとだけ言っておこう。
 なるほどそうしたのか、落語のオチを変えるようなものだなと感心した。李相日監督の工夫である。ここが見どころである。それだけじゃないけれど、重厚な映画に仕上がっている。

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コメント

クリント・イーストウッドの「許されざる者」を観ていくうちに感じるのは、ここに出てくる男も女も、暴力にはけ口を見出し、暴力(と金)でかたをつけようとする連中ばかりだなというものです。これはそんなふうに先住民を追い落として、占有地を広げていくことで形成された、アメリカ人というものに刻印されたさがなのかもしれません。信義とか教養とかを取り去れば、その人の地が出てくるのはどこの国でも同じでしょうが、日本人ならごまかしたり、ちょろまかしたりするのが悪癖であるのに対し、アメリカ人の場合暴力が支配するというところが、際立った特徴なのでしょう。自らの決めたルールに従えと暴力をふるい続ける保安官の姿は、そっくり現代のアメリカの権力の在り方に通底します。この映画の製作者がそういうことを意図したかどうかわかりませんが、この映画がアメリカ人というものを知るのに外せない作品であるのは確かなようです。リメイク版は見ていないので何とも言えませんが、ハリウッド調時代劇でなければいいのですがね。

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