「トランス」 夢は五臓の疲れ
「スラムドック&ミリオネア」のダニー・ボイル監督作品である。
オークション会場をギャングが襲い、ゴヤの「魔女たちの飛翔」を持ち去る。競売人のサイモンもギャングの一味だった。持ち去る途中でトラブルがあり、サイモンはリーダーのフランクに殴られる。その衝撃で記憶をなくしてしまい、盗んだゴヤも行方不明となってしまう。サイモンの記憶がよみがえるのを待つしかない。心理療法士のもとで記憶を呼び戻そうとする。
そこまではいい。その後が、記憶と現実、そして幻想が入り混じって、わけがわからなくなる。すべて夢の中かと思うとそうでもなさそうだし、観客を惑わせる。
落語だと、ああ夢だったかというオチになるものある。ねずみ穴、天狗裁き、心眼、宮戸川・・・といくつもあるが、映画となると、夢だけでは済まされない。どこまでが幻想でどの部分が現実なのかわからなくなる。この映画も、結末には種明かしはあるのだが(ヒントでも言っておきたいが、それもネタバレにつながるのでやめておく)、すべて納得できるかというとそうでもない。
騙されることが楽しい、騙されるのもエンターテイメントの内という映画ならよいのだが、そうでもなく、種明かしもいい加減で、納得できないような結末となる映画もある。この「トランス」はその手の映画ではないのだけれど、もう少しわかりやすい伏線があってもよい。
それにしてもアメリカ人(監督はイギリス人だけど)は精神分析的なアプローチが好きである。フロイドやユングの思想がしっかりはびこっているのを感じる。
ストーリー展開とは関係ないのだが、裸像でヘアが描かれたのはゴヤの「裸のマヤ」が初めてで、それまでは無毛だったとコメントする場面がある。へー、そうなのか。そんなこと考えもしなかった。ルネサンス期の絵画には、ヌードはあってもヘアは描かれていなかったということか。絵画に詳しい方、そのあたりのコメントをぜひお聞かせいただきたい。
ということで、幻覚と現実の交錯。ちょいと疲れる。このところ、忙しかったからなあ。
で、サゲのひとこと。
夢は五臓の疲れ。
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