「危険なプロット」 見応えのある心理サスペンス
見応えのある映画だった。それほど話題にはなっていないのが不思議なぐらいだ。「スイミングプール」「八人の女たち」などを監督したフランソワ・オゾン作品。
設定がユニークである。小説家になることを断念し国語教師をしているジェルマンは、生徒たちの作文能力を嘆いている。ただ一人クロードだけが際立った作文を書いてくる。文才がある。ジェルマンはクロードの才能を花開かせるべく個人指導をする。
クロードの作文はクラスメイトの家庭を描いたもので、読みごたえがある。そしていつも「続く」と書かれており、ジェルマンは続きを期待するようになる。禁じ手をつかい、クロードはクラスメイト(ラファ)の家庭に接近・観察し、それを文章にしていく。この映画の原題は「家のなか」である。
クロードがラファの家庭に侵入する場面はハラハラドキドキものだが、それが作文に書かれた内容を映像にしたものと重なり合う。つまり、どれが現実でどれが作文の世界なのか観客を混乱させるのだ。それもこの映画の仕掛けであり、サスペンス要素をたっぷり盛り込んでいる。
作文のためかそれとも人妻への愛情なのか、クロードは他人の家庭にひびを入れことになる。ラファは自分の作文を人前で読まされることになり、裸になったような辱めの感情を抱く。
ネタバレになってはいけないので、ストーリーはこのぐらいにしておく。
この映画を観ながら「源氏物語」を思い出した。「源氏」の最初の読者は道長であった。紫式部が書くと、道長はそれを読み、ここは面白い、次はどうなるのか、こういう展開はどうかなどと言って、同伴の編集者か指導者のような役割を果たしたのではないかと想像している。その関係と似ている。
教師が作文指導しながら、その展開を注目するが、逆にクロードに引きずられていく。このプロセスが見どころである。
ラストの解釈はいかようにもできる。いや、よくわからない点もあり。もう一度観てみたい。
家庭を暴いた映画でもない。小説づくりの残酷さを描いた映画というわけでない。少年の恋愛を描いた映画でもない。下層階級の生徒の裕福な家庭への腹いせを描いた映画といえなくもない。人間のもつ残酷さを描いた映画でもあるけれど、単純ではない。
ひとことではとらえきれない人間の複雑さを描いた映画というなら、当たっている。
機会があれば、ぜひ観ていただきたい。
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