俺が悪かった。
夫が妻の出産に立ち会うことはよくある。世界的に見ても、出産に立ち会い、産みの苦しみを共有するという風習は昔からある。文化人類学ではこれを疑娩(ギベン)という。もうすこしましな表現はなかったものと思うが、ギベンということになっている。
男にすれば想像出産のようなものか。出産共有とでも言うべきか。
知り合いで、妻の出産に立ち会った男がいる。陣痛で叫ぶ妻の声に耐えきれず、妻の手を握り、涙を流しながら「俺が悪かった!」と叫んだ。実際に現場を見たわけではないけれど、どこからかこの話が伝わってきた。
あいつ、泣きながら叫んだってと、しばしば酒の肴になった。大笑いした後、「ま、半分は男の責任だわな」とまとめるのが常となった。
子供を産まなかった女性は多い。未婚のまま一生を過ごす男性も多い。子はいても、妻の分娩に立ち会ったことがある男性となると極めて少ないのではないか。わたしもその経験はない。
もし、立ち会っていたら、同じように、俺が悪かったと叫んだかというと、そんなことはない。一緒にいる勇気がない。いたたまれず、分娩室の外に逃げ出していたと思う。ちょっと卑怯か。
だから「俺が悪かった」と叫ぶのは、それはそれでかっこい男の姿だと、考えなおしたりもする。でも、酒の肴としてはオモシロイ。
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