「偽大学生」 脚本家 白坂依志夫
せんだっての日曜日、川崎ミュージアムで映画を観た。ここでは毎週土日に昔の映画を上映している。
同じ川崎市内なのに我が家からミュージアムまでは一時間以上かかる。新宿より遠い。だから、月一も行っていないのだが、今回は脚本家の白坂依志夫のトーク付きということで、出かけた。
映画は増村保造監督の「偽大学生」(1960年)。原作は大江健三郎である。作品の出来は期待していなかったが、これがなかなかのものだった。増村監督のベストスリーに入るんじゃないか、それほど増村監督作品を観ているわけじゃないけれど、そう思った。
ジェリー藤尾(かつての人気歌手。「遠くに行きたい」はこの人が歌った)演じる偽の大学生(何浪もしている)がひょんなことで歴史研究会サークルに入るが、スパイを疑われる。調べてみると学籍もない。サークルメンバーは彼を監禁し、暴行を加える。すきを見て脱出して警察に駆け込むことでメンバーの数人が逮捕される。裁判になるが偽学生までも謝罪することで、被告は釈放される。そんな筋立てである。
上映後のトーク(白坂と小野沢稔彦の対談)で、映画化までのいきさつが語られる。
大江の原作『偽証の時』を市川崑が白坂に持ち込んだ。脚本にしたが、会社側(大映)と市川の間にトラブルがあり、映画化はすっ飛んでしまった。そんな折り、白坂の元に、増村が清張の『黒い樹海』を映画化したいと持ち込んできた。そんなものより、こっちの方がおもしろいぞと増村にもちかけた。増村は了解するも、内容が市川風だから気に入らない。で、全面的に書き直して増村が気に入るような脚本に仕立てた。
大江の原作はいわば実験小説のようで具象的でない。登場人物ひとりひとりに名前を付け、肉付けをし、キャラクターを作り上げた。それをもとにできあがったのがこの作品である。細かなところはともかく、トークの大筋はこんな話であった。
ジェリー藤尾のへらへらした偽学生がいい。饒舌に、そして誠実に振る舞う演技が嘘っぽくもあって、面白い。学生たちは、彼に戸惑いながら、それぞれが微妙に異なる人生観をかいま見せる。左翼を標榜しながら体制に順応していくのではないかとか、純粋に運動を推進しようとしているとか、それぞれが同質的ではない。伊丹一三扮するリーダーも、いざとなると当事者にならないように行動する男であることをうまく描いている。人物像がうまく描けているのだ。
増村監督は図式化するのがうまいと白坂は語っていた。白坂の脚本をうまく図式化して、カット割りや演技指導をすることで、すぐれた作品に仕立てたのであろう。ついでにいうなら、映像もいい。50年以上前の作品であるが、撮影アングルにも斬新さを感じる。
母親からの手紙を読むシーン(原作にはないそうだ)やラストシーンが印象に残る。
この映画は、上映当時は話題にならなかった。ちょうど大島渚の「日本の夜と霧」の上映打ち切り事件があったこともあり、マスコミの話題はそちらのほうにいってしまったことがある。そのとばっちりである。DVD化もされていないので、ときどきフィルム上映される程度。見ている人は少ない。ことし早稲田松竹で、増村監督特集のとき上映されたそうである。そんな機会があれば、ぜひ観ていただきたい。
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