アルテリオ寄席 「芝浜」にまつわるトリビアな話題
今日は、アルテリオ寄席に行ってきた。今月は初音家左橋の出番である。
演者と演目はつぎのとおり。
三遊亭多歌介 厩火事
初音家左吉 鰻屋
初音家左橋 芝浜
この季節は「芝浜」である。いわば「第九」のようなものになりつつある。ほかにも年の瀬らしい演目はあるのだが、「芝浜」をやることが多い。個人的には「掛取り」が好きなんだけどね。
人情噺はそれほど好きでない。談志もそうで、業の肯定などと語っていたが、いつの間にか「芝浜」が得意ネタとなった。この演目、業の否定になるのではという問いに、こういうものもできるのだと見せてやりたいからと言い訳していた。談志らしい強がりである。
好きではないとはいえ、この噺にケチをつけるつもりはない。
左橋の聴きながら、いくつか気になることがあった。ディープで些末なことだが、「芝浜」を聴く際の参考に供したい。
浜で財布を拾う。中に入っていたのは、二分金や一分金で、合計四十二両である。ふつうはこうやるが、左喬は「二分金がいっぱい」とやった。数えて八十四枚。二分金が二枚で一両、一分金なら四枚で一両である。
これを、ひとよ、ひとよ、ひとよ、ひとよ、ふたよ、ふたよ、ふたよ、ふたよ、みっちょい、みっちょい、みっちょい、みっちょい、とやった。四進法である。一分金の勘定の仕方である。
二分金ばかりなら、こうは勘定しない。妻が勘定したように、チュー・チュー・たこ・かい・な、と二枚ずつ数えるのがふつうである。些末なことだが、細部にも神経をつかってほしい。
では、財布の中が小判ならどうか。これはあり得ない。江戸時代、民間では一両小判はほとんど流通しなかった。小判は武家や大店の取引として使われた。分、朱、銭(文)が通常の通貨であったから、財布の中身が二分金一分金であったというのはリアリティがある。
もうひとつ、芝の浜に行くと、明け六つを告げる切り通しの鐘がなる。これを増上寺の鐘とやった噺家がいたが、これは間違い。今では正しく切り通しとやっているので、問題はない。では、その切り通しの鐘の場所はご存知だろうか。江戸検定に出るぞ。
問題は鐘のなる明け六つの頃合いである。明け六つの時刻は今の感覚とは違う。太陽が昇り、水平線に出た瞬間が今は夜明けとしている。しかし江戸時代は、日の出ではない。太陽が顔を出す前、空が白んだときに明け六つとなる。気持ち三十分ぐらい早いぐらいか。その時間感覚を押さえて、「芝浜」の時間の経過を表現できるかがポイントとなる。「芝浜」をやるならそのぐらいは押さえておいてもらいたい。
まあ、ちょいとトリビアを語ってみただけである。落語は無邪気に楽しめばよいのだから、聴き手にはそんな知識はいらない。
ついでのひとこと
この会、中入りで抽選会がある。当たった、ハワイ旅行が・・・うそ。小さな鉢に入った花だった。うーん、まあ、色紙が当たるよりはいいか。
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