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2014年1月 9日 (木)

『ひとりブタ』  立川生志の半生

 

 以前、談志関連本はもう打ち止めだろうと書いたが、それ以降も何冊か出ている。暮れには『談志十八番』が出た。談志落語のガイドブックである。続いて、弟子の立川生志が『ひとりブタ』を書いた。副題には「談志と生きた二十五年」とある。

 生志は前座十年、真打にはさらに十年かかった。師匠はなかなか昇進させてくれなかった。なんでそうなったか。そのあたりを描いた半生記である。

 談志は、落語は業の肯定だと言った。生志にしてみれば師匠・談志自体が業であった。理不尽な重しとしてのしかかった。無茶を言う。しかし師匠には反論できない。悩むが、時として師匠は別人のようにやさしくなる。丁寧に指導してくれる。立川流は落語会の北朝鮮だと悪口を言った人がいる。似てなくもない。

落語は上達しても歌舞音曲がハードルになる。生志に昇進の声はなかなかかからない。焦りが生じる。どうしたらいいかわからない。師匠への尊敬と反発が入り混じった心の揺れが描かれている。落語に関心がない人でもおもしろく読める、と思う。

 

 落語を知らない人に、生志がどんな人物か紹介しておくと、風貌は花田勝(もと横綱)に似ている。ひとりブタ? 本人もマクラで「落語界の花田勝です」と言う。それほど多く聴いているわけではないが、神奈川県警の悪口をマクラにもってくることがある。自らの大病(後腹膜腫瘍)にふれることもある。

  

 

落語はうまい。ただし立川流四天王(志の輔、志らく、談春、談笑)と比べると少し差があるような気がする。

 真打までの足取りは長かったが、無駄ではなかったというのが結論。まあ、そうなんだろうが・・・。

 

  なぜ談志は生志を真打にしなかったか。その疑問が残る。私なりの解釈はこうだ。

  落語はうまい。フラ(噺家らしい持ち味)もある。顔つきもお兄ちゃん(花田勝)に似ていてユーモアが感じられる。噺家としては申し分ない。が、そこに落とし穴があった。実年齢(真打になったのは四十五歳)よりもうんと若く見えるのだ。そのあたりは本書にちらりと出てくるが、談志からすると三十そこそこの若造に見えたのではないか。勝手な想像であるけれど。

 

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