「もうひとりの息子」 イスラエルとパレスチナのはざまで
アルテリオ映像館で「もうひとりの息子」を観てきた。昨年公開された「そして父になる」と同様、乳児取り違え事件を描いたものである。ただし、こちらの方はうんと深刻である。敵対するイスラエルとパレスチナ間での取り違えなのだ。
テルアビブに住むイスラエル人家族でのこと。十八になった息子が兵役検査を受ける。血液検査の結果、実の子でないことが判明する。調べてみると、1991年湾岸戦争のとき、出生した病院のミスでパレスチナ人家族の子と散り違えられたことがわかる。
アラブとユダヤ、民族、宗教も違い、敵対関係は長く続いている。両家族は面談する。家族内でも両家族の間でも、ぎこちない空気が生まれる。
パレスチナ人家族の息子はバカロニア(フランスの大学入学試験)の合格し、医大への進学を希望している。イスラエル家族の息子は兵役を免れる。
両家族だけならそれほどでもないのだが、その周りの人たちは息子たちを不審な目でみることになる。二人にすればたまったものでない。自らのアイデンティティを問われることになる。アイデンティティとは国籍でもあり、自らの存在基盤でもある。
ではあるけれど、大変な事態とはならない。心の揺れはあるものの大人の英知が働く。さざ波のように事態は動いていく。出演者(とりわけ二人の母親)の心の動き・揺れが見事に描かれている。凡庸な結末であるけれど、この凡庸さが大切なんだろうね。
テーマはドラマティツクであるけれど、映画はそうではない。パレスチナにもイスラエルにも配慮した視点が感じられる。
現在、イスラエルとパレスチナ間がどうなっているかよくわからない。この映画を観ると、パスポートか許可証さえあれば、そこそこ行き来はできるようである。どちらにも肩入れしたいけど、肩入れすることはできない。難儀なこっちゃ。仲良くやってよと、どちらにも声援を送るしかない。
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