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2014年1月 1日 (水)

初詣 おみくじは大吉  朔旦冬至の年

 

あけましておめでとうございます。

 初詣は近所の十二神社に行ってきた。ビッグな神社は混雑しているので敬遠。近場で済ませた。

 いつもは人っ子一人いないが、新年は混雑する。といっても人であふれるほどではない。露天商も出ていない。少し行列すれば順番が回ってくる。

 

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 おみくじを引く。大吉である。

「思う事 思うがままに なしとげて 思う事なき 家の内哉・・・色を慎み身を正しく目上の人を敬って目下の人を慈めば愈々運開きます」などとある。

色を慎むはわかるが、身を正しくは、できるかどうかは自信がない。

 

 さて、今年平成26年の暦を見るとおもしろいことに気づく。

冬至は12月22日。この日が朔(新月)となるのだ。旧暦の12月1日である。朔と冬至が重なるのを「朔旦冬至」という。

冬至はもっとも昼が短い。この日以降、日は長くなっていく。一年の区切りの日であり、始りの日である。本来ならこの日を正月(太陽暦)とすべきであろうが、なぜか一週間ほどずれて新年を迎えることになる。

その区切りの日が朔(新月)と重なる。朔も月が満ちていく始りの日である。同時スタートである。このように朔旦冬至となるのは十九年に一度だけということだ。なんとなくめでたい。

新たなことを始めるにはいい年、いい日なのかもしれない。しかもこの日は大安である。

 

 ついでのひとこと

新嘗祭は11月に執り行われる。勤労感謝の日となっている。かつては旧暦11月の二度目の卯の日に行われた。新暦だと冬至のころである。新嘗祭はひょっとすると冬至の祝いの日ではなかったかと考えている。新嘗際は豊穣の祝いの日という説があるが、それでは神嘗祭の位置づけがおかしくなってしまう。神嘗祭で豊穣を祝う。その後の新嘗祭は別の意味合いがあったはずである。新嘗祭は、新たに天皇が即位したときには「大祭」となる。その即位の祝いと新年を寿ぐような位置づけにあったのではなかろうか。

冬至と旧歴の正月はひと月ほどずれる。

旧歴の正月は、二十四節気(これは太陽暦の概念)のひとつ、雨水の直前の朔の日と決められている。憶えておいて損はない。

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