「ハンナ・アーレント」 思考とは自己との静かな対話
「ハンナ・アーレント」をアルテリオ映像館で観てきた。
数日前、この映画を観ようとしたら満席で入れなかった。へー、満席とは驚き。封切りの岩波ホールでは大変な人気と聞いていたが、まだその余韻は続いているようだ。
物語は1961年、アイヒマンの裁判が行われた頃である。アイヒマンといっても若い人はほとんど知らないと思う。ナチスの親衛隊員でホロコーストに関与した罪で逃亡先のアルゼンチンでモサドによって捕らえられ、イスラエルで裁判にかけられた。その結果、死刑となった。
ハンナ・アーレントはアメリカに亡命したユダヤ人の哲学者。大学教授である。出版社の依頼でアイヒマン裁判の取材をし、レポートを雑誌に発表する。それが物議を醸すこととなった。
アイヒマンは、平凡な男で職務を忠実に果たしただけである。凡庸な人が犯した罪であり、凶暴な者ではなかった。さらにユダヤ人指導者がナチスに協力し、それなくして大量殺害は成し得なかったと結論づける。これがユダヤ人にはとんでもない暴論と映る。誹謗、中傷、脅迫にさらされることになる。
彼女の哲学的思考は難しい。凡人が犯した悪と絶対悪はどう違うのか。アーレントはハイデッカーの弟子である。だからというわけではないが、彼女の論理展開は凡人には歯が立たない。でも、映画は大ヒットした。彼女の思想が理解されたというわけではあるまい。
この映画のハイライトは、大学での講義のシーンである。たばこを吸いながら(禁煙論者は目を剥くかもしれない。まあ、半世紀も前の時代である)、悪とはなにか、思考とは何か、思考とは自己との静かな対話であると持論を披瀝する。ここがかっこいい。強靱で不撓の女性であることを印象づける。
たぶん、このシーンに観客(特に女性)が引きつけられたんじゃないか。
サスペンスもラブシーンもあるわけではない。難解な会話もある。これがこれほどヒットするとは、私にはよくわかりません。頭の中は霧がたちこめている。
霧ついでのひとこと
昨夜は深い霧であった。山の中なら霧も珍しくないが、都会でこれだけの濃霧はめったにない。ベランダから、そのシーンを写してみた。ちょっと幻想的。F1.9 シャッタースピード1/3秒 ISO400で撮った。
« ザ・ニュースペーパー 今を笑うコント | トップページ | リリエンベルグ 休日が多い洋菓子店 »
「映画」カテゴリの記事
- 「みんな、おしゃべり」 (2026.03.08)
- 「木挽町の仇討ち」(2026.03.04)
- 「黒の牛」(2026.02.28)
- 「グッドワン」(2026.02.24)
- 「クライム101」(2026.02.20)



コメント