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2014年2月23日 (日)

赤羽の語源  荷風の記録

 北区赤羽あたりの西側は高台になっている。新幹線からはよく見える。高台は崖となっており、赤羽の地名はここからきている。赤埴ともいい、赤い粘土質の崖がその名bの由来である。羽は崖なのだ。

 港区、東京タワー近くに赤羽橋がある。古川に架かる橋であるが、崖らしきものは見あたらない。地名の由来は、土器をつくる家が多く、その土が赤かったことから赤埴、赤羽根などと呼ばれるようになったとの説があるが、これは疑わしい。やはり崖があったのではないか。

 では、崖はあるのか。赤羽橋あたりを見回してもそれらしきものは見つからないが、崖があることを思い出した。

赤羽橋の西側に三田国際ビルがある。そのうしろは三田高校、その向うに赤羽小学校がある。後ろに回り込むと、学校の境目が崖になっている。ビルに隠れて表通りからはわからないが、崖はある。

 この崖については永井荷風の『日和下駄』」の中の「閑地」の章に出てくる。大正時代の随筆である。

三田国際ビルや済生会病院のあるこの一角は江戸時代は有馬藩の屋敷であった。明治となり海軍造兵廠の施設となった。それも移転し、更地として残った。荷風はここに猫塚(有馬の猫騒動の供養塚)があることを知り、それを見ようと鉄条網を乗り越えて立ち入る。荷風は足が長かったから乗り越えた。子供の遊び場になっている。池がある。大名屋敷だから回遊式の庭の名残である。釣り堀屋が店を広げていたりし、大人にとってもかっこうの遊び場になっている。そこを抜け、崖を登る。そこに猫塚はなく、石の台だけがあったと記述している。

荷風の随筆から、ここが赤羽とついた理由がわかる。猫塚であるが、現在は崖の上にある。赤羽小学校の体育館の裏、三田高校との境界あたりに塚は建っている。いつごろ塚は再建されたかは不明だが、ぽつんと建っている。

その写真(数年前に撮影)である。その日は晴天だったため、コントラストが強くなってしまっている。

Photo

  これを見ようと勝手に立ち入ってはいけませよ、小学校の敷地内ですから。

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