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2014年3月18日 (火)

ハーモニカを売る娘

 

ハモニカ娘」の記事が東京新聞(サンデー版)に載っていた。

東宝に駅前シリーズがあった。森繁、伴淳、フランキーなどが出演した人気喜劇映画である。20作以上作られた。その中に浜松を舞台にした「駅前弁当」(1961年制作)がある。

冒頭に、旧国鉄浜松駅のプラットフォームでハーモニカを売るシーンがちょっとだけ映し出される。弁当と同じようにハーモニカを立ち売りする。ハモニカ娘が「旅の思い出に、ハーモニカはいかがですか」と売り声を掛ける。実際、駅弁のように売っていたのだ。

 1949年からハーモニカの普及と浜松が楽器の街であることを知らしめる目的で日本楽器(ヤマハ)が始めたのだそうだ。ちなみに一番安いもので60円だった。今の感覚なら千円か2千円ぐらいか。

 記事には「僕は特急の機関士で」の中にも出てくるとある。その歌なら知っている。当時の流行歌。三木鶏郎の作詞作曲で、テンポのいい明るい曲である。三木鶏郎は当時のテレビ・ラジオで活躍した音楽家・放送作家である。数々のコマーシャルソングも作っている。

その歌詞に、「ハモニカ娘は浜松で ドレミファソラシド 紅のあと・・・」というくだりがある。ヘー、そうだったのか。記憶から飛んでいる。当時でも、このハモニカ娘、話題だったということだろう。

「東京 京都 大阪 ウウウウウウウウ ポポ」というリフレインがあって、軽快でいいのだが、なんで名古屋を飛ばすのだろうと思った記憶がある。

ご当地ソングだから、歌詞の中には名古屋は出てくる。「名古屋にお城はあるキャアモ 金のシャチホコ あるキャアモ」。軽いノリである。当時は、こういう軽くコミカルな曲が流行った。戦時体制から解放された雰囲気がよく表れている。

 

 楽器というと、当時はハーモニカが主力だった。素人でも上手い人がいっぱいいた。ちょっと思い浮かべると、小沢昭一がいる。この人には、ハーモニカが欲しかったんだよーと歌う「ハーモニカブルース」という名曲がある。歌詞には、ハーモニカを買ったその値段は2百円だったとある。

もうひとり、元首相の宇野宗佑を挙げておきたい。ハーモニカはプロ級だった。首相の座は、指三本でしくじっちゃったけど、演説も含めて、口はうまかった。

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