人生 捨てたもんじゃない。 籾井ネタ
このブログを始めて二年以上になる。当初考えていた以上に順調に更新している。けっこう書くことがあるものだというのが実感である。
ときどき問われる、なぜ書くのかと。
日記代わりのメモである。文章のトレーニングという意味もある。一番の理由は、ほら、こんな話があるよ、聞いて、聞いて! である。
映画のセリフで代弁すると、「ちょっといい話があって、それを聞いてくれる人がいれば、人生は捨てたもんじゃない」。「海の上のピアニスト」にでてくることばである。
つまらない話もおもしろい話もあるだろうが、このブログに目を通してくれる、それだけでうれしい。知人から読んでいるよと言われればさらに書きたくなる。それだけで、人生捨てたものではない。そんなものである。
ブログがいい理由は、只今を書くことができることにある。コラム記事は鮮度が大切である。賞味期限、ベストテイストには期限がある。
雑誌に書く場合、発行日の都合で、活字になるには一ヶ月以上先になることがある。一ヶ月先では陳腐な話題になっているかもしれない。
その点、ブログはいい。今を書くことができる。中身はともかくとして鮮度だけはいい。
たとえば、このところ騒がせているNH会長の籾井さん。ちょっといじりたくなる人物である。今が書き時である。
で、次のような文章となる。
籾井会長の言動がいまだに尾を引いている。
理事全員の辞表をとりつけたことで揉めている。もみいではなく、揉め井である。当人は「一般社会ではよくあること」と釈明しているが、ないって! そんな大時代的な話は聞いたことがない。小説やテレビドラマならあるかもしれないけど。
あれは、自信のなさの表れである。自信がないから虚勢を張って、辞表提出を求めた。
以前、籾井さんが高見盛に似ていると書いた。高見盛は最後の仕切前に気合いを入れた。相手とぶつかるのが怖い。それを払拭するため自分の頬を張り、気合いを入れた。会長就任時はあれと似た心境だったのではないか。
それにしてもおもしろいキャラだ。政府が右と言えば左と言うわけにはいかんでしょう、などの発言は正直かもしれないけれどバカである。
それが籾井さんの処世術なんでしょうな、上に対しては。
長いものには巻かれろ。重いものには敷かれろ。尖ったものには刺されろ。そんなふうに生きてきたのだろう。
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