けじめとしての胴上げ
胴上げは祝福のためにするものと思っていたのだが、そうでもないという記事が東京新聞に載っていた(3/26)。
大相撲の千秋楽の表彰式の後、「神送りの儀式」がある。若手力士が土俵にあがり行司を胴上げする。テレビ放送が終わった後だから、テレビで目にすることはない。土俵で仕切り役を務める行事を普通の人に戻す儀式なのだそうだ。このようにして、土俵に降りた神様を見送るわけである。へー、知らなんだ。
胴上げは、もともとけじめや区切りを意味した。いまでは祝福の意味の方が圧倒的に多くなっているが、相撲のような伝統行事には残っているのだ。
善光寺では十二月の二番目の申の日、年越しの儀式「御越年式」の最後に胴上げをする。儀式の仕切り役である「堂童子」を僧侶たちが「わいしょ、わいしょ」(わっしょい、わっしょい、ではない)掛け声を上げながら持ち上げる。三度、三尺の高さで行うことが決まっている。
新旧の区切りをつけるとか、ハレ(非日常)からケ(日常)に戻す意味で胴上げはあったということだ。面白いでしょ。
胴上げをして祝福したら、喜びはそこまで、明日からは新たな気持ちでという意味もあるのかもしれない。
国語辞典にはもちろん祝福の意味しか載っていない。『新明解』の語釈はこうである。
祝福の喜びの気持などを表わすために、祝福される人のからだを横にして、大勢で空中に何回か投げ上げ投げおろしすること
マスコミは胴上げが得意である。誰かを持ち上げ、称賛する。ときにそれに区切りをつけ、放り投げ、さらに踏みつけることもある。賞賛がたちまち非難へと変わる。ほら、あの事件も、この人も・・・。
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