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2014年9月25日 (木)

「石榴坂の仇討」 

 

このところシネコンはガキ向きの映画ばかりで、観たいものが少ない。秋になりようやく大人向きの映画が出てきた。

「柘榴坂の仇討」もそのひとつ。さっそく足を運んだ。

 桜田門外の変のその後を描く。彦根藩士の志村金吾(中井貴一)は井伊直弼を守ることができなかった。死するつもりであったが切腹は許されず、刺客水戸浪人の仇討ちを命じられる。長屋住まいを続け、仇討ちの相手を捜す。妻のセツ(広末涼子)は酌婦となり金吾を支える。13年後、時代は明治となり、仇討ちは禁じられる。襲撃した水戸藩士のただ一人の生き残りの佐橋十兵衛(阿部寛)は車引きとなっていた。

仇討ち禁止令が出たその日、金吾は十兵衛の行方を知る。二人は石榴坂で対峙することになる。

石榴坂なら何度も歩いたことがある。品川プリンスホテルの脇を新高輪ホテルに向かう坂で、その先で二本榎木通り(かつての中原街道)につながる。この坂を原作者である浅田次郎は仇討ちの場所に選んだ。フィクションだから、とりたててどうのこうのということはないのだけれど、この坂を登る、あるいは下るときはこの映画を思い出すのだろうな。

 

映画に戻る。設定はきわめて古臭い。ひたすら忠義を尽くそうとする金吾。刀を捨て、市井の片隅でうずくまるように生きている十兵衛(名を直吉と変えている。直吉の直は井伊直弼の直である)。生き方も古臭い。時代は変わろうとも心は変わらないというのがこの映画のテーマだろうが、それが刀を交えるシーンなど、けれんたっぷりに演じられると、ちょっとどうなかあと思ってしまう。そうじゃなくては映画にならないといわれればそれまでだが・・・。

阿部寛のほか吉田栄作も出ている。二人ともバタ臭い。ハンサムだけど、当時の武士という雰囲気はない。もっと無骨な役者の方がよかったのではないか。

 

ついでのひとこと

十兵衛(直吉)がまっとうな人間ではなく、酒浸りでやくざ者だったら、金吾はどのようにふるまったであろうか。いささかネタバレの領域に入るが、映画(小説)はストーリーをきれいごとにしてしまう。十兵衛は生き残るにせよ、もっと無骨なしたたかさがあってもよい。

ちょっと考えてみただけのことである。そんなことはともかくとして、中高年にはお薦め。

 

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