麻生区は柿の街 禅寺丸柿800年
先だって当ブログに、新百合ヶ丘は映画の街と書いた。新百合ヶ丘のある麻生区は柿の街でもある。
麻生区では「区の木」を禅寺丸柿としている。今からちょうど八百年前の1214年に、麻生区にある王禅寺の山内で甘柿が偶然発見された。それまで日本には渋柿しかなかった。たちまち評判となり、この地域で栽培されるようになった。王禅寺で見つかったので、禅寺丸柿と名付けられた。商品価値も高く、地域の名産となり、農家の生活を支えた。
明治になって柿生という村が誕生した。柿の発祥の地であることを表している。現在は駅名や学校名でそのとどめている。ちなみに、麻生区は1982年に多摩区から分区して誕生したのだが、区名をつける際、住民による意見を求めたところ、柿生区が断然トップだったそうだ。ところが、あれこれあって結局は麻生区になったのだが、柿生区となっていてもおかしくなかった。
禅寺丸柿がもてはやされたピークは大正時代で、その後は新種の登場などで市場から姿を消すことになった。
甘みは黒糖の味というか、悪くはないけれど、小ぶりで種が大きい。果肉が少ない。富有柿や次郎柿と比べると貧弱で食べづらい。まあ、負けるわな。
とはいえ、このまま絶滅させるわけにはいかないとの声があがり、保存会が発足した。さまざまな活動をしている。柿生駅前では秋になると禅寺丸柿祭りが開催されたり、各種のイベントが区内で開かれている。柿ワインも作られている。
2008年にはキャラクターも作られた。いわゆるゆるキャラである。名付けて「かきまるくん」。いまや、ゆるキャラは伊勢屋稲荷に犬の糞であって珍しくもなんともないが、まあ、子どもは喜ぶかもしれない。
写真は麻生区民祭でのかきまるくん。
ということで、禅寺丸柿、食べて感動するような代物ではないけれど、長くこの地域の農家の貴重な現金収入となったことは記憶に留めておいてもよい。機会があれば味わってみていただきたい。
地域の古老から「米が不作の年は柿が豊作」という謂われがあったと聞いたことがある。米が不作の年は柿がカバーしてくれた。大切な作物だったわけだ。
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