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2015年2月 2日 (月)

『独学でよかった』  間隙を埋める思想

 映画評論家の佐藤忠男さんは日本映画大学(川崎市麻生区)の学長もされている。新百合ヶ丘駅あたりでときどきお見かけする。今年85歳になるが、足取りはしっかりされている。講演やトークでも歳を感じさせないほど、きちんとした話をされる。失礼な言い方になるが、ぼけてはいない。

 その佐藤さんの近著。といっても内容は2007年に出版されたものである。出版社が倒産したため絶版になっていた。そのままにしておくのは惜しいということで、別の出版社(発行・中日映画社)から改めて発売された。

 副題に「読書と私の人生」とあるように、映画よりも読書にウエイトをおいているが、映画と離れているわけではない。

 佐藤さんの著作はけっこう読んできた。最初に読んだのは『間隙を埋める思想』だった。格調の低いとされてきた大衆文学や大衆映画にスポットをあてた評論は新鮮で、なるほど思うことが多かった。繰り返し読んだ章もある。いまだに我が本棚に並んでいる。かなり黄ばみも進んでいる。奥付をみると1971年発刊とある。45年ほど前。ずいぶんたった。以降、佐藤さんの著作では『長谷川伸論』が印象に残っている。これは名著である。

 本書『独学でよかった』では、映画評論を書き始め頃からのことが書きつづられている。このあたりは繰り返し書かれていることであるが、佐藤さんの思想の原点がここにある。

 大学で映画理論などを学んでいたら、独自の視点は身につかなかったかもしれないという思いが、本書のタイトルにつながっている。高尚な映画理論の間隙を突く思想を身につけることができたということである。

 なぜ大衆文学かという佐藤さんの思想を一言で整理すると、こうなる。

 個人の近代的自我を採りあげるのが純文学とするなら、大衆文学は集団のモラルを中心に採りあげる。両者は相反するのではなく、両方とも必要なもので、それを調和させていくことが大切である。純文学も大衆文学もそれぞれ意味がある。

 ついでに言うと、武士道と騎士道の違いの分析もおもしろい。

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